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時々とんでもない勘違いをしている

人に会うことがあります。

彼らは次のような事を言います。

「クリスチャンって都合のいい人間だね〜。

悪い事しても神様に謝ればOKなんだろ?」

結論から言うと、全然OKではありません。

みことば通りに生きる事が

喜びとなっているのが

本来のクリスチャンです。

しかしそんなクリスチャンですら

時にみことばから逸脱した行いによって

神様を悲しませる事があります。

そんな時に犯した失敗にとらわれて

沈み込んでしまっては先に進めませんね。

だからその失敗を神様に告白して

赦してもらう事で再スタートするのが

キリスト教的罪の赦しの原型です。

ですから故意に悪事を働く事は以ての外。

基本的には過失による失敗が対象です。

ヤコブに手紙4章17節でも

「なすべき正しいことを知っていながら

行わないなら、それはその人の罪です。」

とあります。

ここを履き違えるとんでもない人間に

なってしまうのでご注意下さい。

イエス様を信じた者は

信じる以前の罪にまみれた過去を

全てイエス様と共に十字架につけて葬り去り、

イエス様が復活なされたように

新しく生み出された者として

人生を再スタートしたわけですから、

信じる以前のような汚れた生活を

そのまま送るのはお門違いなのです。

パウロも次のよいに教えています。

「神が私たちを召されたのは、

汚れを行わせるためでなく、

聖潔を得させるためです。

ですから、このことを拒む者は、

人を拒むのではなく、あなたがたに聖霊を

お与えになる神を拒むのです。」

(第一テサロニケ 4:7-8 新改訳)

みことばを生きる事を

意図的に放棄していながら

クリスチャンと自称する者は、

正にその行為でもって神様を

拒んでいるいるのだということを

知るべきでしょう。

全き信仰が与えられますように祈りましょう。