ギリシャ語で書かれています。
それを現代語に翻訳するのは
結構大変な作業です。
今年と来年に日本ではメジャーな
日本語訳聖書の新版が出版されると
聞いています。
どのように変わったのか楽しみです。
原語忠実に訳すと意味の把握が
難しくなることもあります。
だからといって意訳すると果たしてそれが
本当に聖書が私たちに伝えようとした
内容なのかという批評を免れません。
外国語の文献の翻訳は本当に難しいのですが、
聖書はその中でも時別難しいと思います。
今日はそんな難しい翻訳箇所の
1つを見てみたいと思います。
新約聖書コロサイ人への手紙2章11節です。
「キリストにあって、あなたがたは
人の手によらない割礼を受けました。
肉のからだを脱ぎ捨て、
キリストの割礼を受けたのです。」
(コロサイ2:11新改訳)
「あなたがたはキリストにおいて、
手によらない割礼、つまり肉の体を
脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、」
(コロサイ2:11新共同訳)
「イエスに属せたのは、
人の手による割礼という名の手術ではなく、
イエスの死という名の手術に
よってなのである。」
(コロサイ2:11ALIVE訳)
「このキリストに結ばれて、あなた方は
人の手によらない割礼を受けたのです。
それは肉の体を脱ぎ捨てることであり、
キリストの割礼です。」
(コロサイ2:11フランシスコ会訳)
「あなた方はまた、このキリストにあって、
肉の体を脱ぎ捨てることにより、すなわち、
キリストの割礼により、手によらざる
割礼ををもって割礼を受け、」
(コロサイ2:11新和訳)
聖書には節があるので、それが訳を
さらに難しくしています。
今日、一緒に見たコロサイ書2章11節が
まさにそういう箇所なのです。
ここは訳自体が難しいと言うより、
前後の節との自然なつながりを
持たせるのが難しい箇所です。
そういう理由で上で見たように
訳本ごとに表現の微妙な違いが
散見されるわけです。
さて聖書は違う訳本を持っていると
比較しながら読む事が出来ますので、
あなたも手持ちの聖書を読んで
なんとなくしっくり来ない時は
ネットなどで別の訳と比較しながら
読んでみると良いかもしれません。
今日は聖書の理解がより進みますように
祈りましょう。
イエス様の福音を心に刻む(割礼)ことで
真の自由を得る事が出来ますように。