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子どもの頃、

親に少し高価な物を

買ってもらいたい時には

遠回しに何度もねだったものです。

我が家は裕福ではなかったので

欲しがった物を何でも

買い与えてくれはしませんでした。

その代わり本だけは

いくらでも買ってもらいました。

本の場合は読みたい本が決まらないと

買えないし買う気も起こりません。

ですからしっかり選んで「これが欲しい」と

一言でおねだりが終了します。

一方で友達が持っているから

見栄で欲しがった物などは、

実はさほど欲しい物ではないので、

おねだりもグダグダと

長くなっていた気がします。

私たちが神様に求める時も

同じ構造があるのかもしれません。

祈りが長引く場合、

実は何が必要なのか

分かっていない場合があります。

本当に必要な場合は

意外と一言でお祈りが

完結してしまうものです。

少し目をつぶって考えてみて下さい。

今、あなたの目の前にイエス様が

来られたと仮定して下さい。

そして彼があなたにこう尋ねます。

「何が必要か?」

その問いかけに一言で

「○○が欲しいです。」と答える

準備が出来ていますか?

福音書でイエス様に何かしら

していただいた者たちの共通点は

一言で答える準備が出来た人たちでした。

ですから本当に必要なものは何かを

しっかりと把握する習慣が必要です。

あれもこれも手当たり次第に求めるのは

信仰的ではないのです。

マタイの福音書6章7-8節で

イエス様も次のように教えておられます。

「本当の神を知らない人たちのように

同じことを繰り返し唱えるんじゃない。

彼らは、唱え続ければ祈りが聞かれると

誤解している。

それじゃダメだ。

父さんは、あなたたちに何が必要か、

祈る前から知っている。」

(マタイ6:7-8 ALIVE訳)

あなたにとって本当に必要なものは

そうたくさんはないはずです。

その必要なものが何かを知る事が

出来ますように祈りましょう。