神様が与えてくださった自由。
それをどのように使うべきか。
これはキリスト教倫理の基本でもあります。
律法主義的にある特定の行為を
禁じたりする事をキリスト教は
ほとんどしません。
しかし実際には禁止していると捉えられ
かねない事があります。
それは何故なのでしょうか?
クリスチャンがある行為を敬遠するのは
禁止されているからではなく、
その行為が第三者をつまずかせたり
傷付けたりするのを避けるために
敢えてその行為を避けているのです。
パウロも次のように教えています。
「私たち力のある者は、力のない人たちの
弱さをになうべきです。
自分を喜ばせるべきではありません。
私たちはひとりひとり、
隣人を喜ばせ、その徳を高め、
その人の益となるようにすべきです。」
(ローマ 16:1-2 新改訳)
あなたは隣人の益となるように
自らの行動を選択していますか?