自分の落ち度はなかなか認められませんね。
下手に認めようものなら揚げ足を取られて
大変な事になってしまうかもしれません。
昨今の外交関係でもそれに起因する問題が
度々報告されています。
残念ながら私たちはそんな
不信感に支配された世界に生きているのです。
しかしだからと言って
クリスチャン同士で自分の落ち度を
認めないどころか相手の非を
責め立てるようでは本当に生まれ変わった
クリスチャンとは言えるでしょうか?
クリスチャン同士では悪かったら
素直に謝ることが出来るようで
ありたいものです。
そして同じ過ちを繰り返さぬように
お互いに祈り合う事が出来るように
なれば完璧でしょう。
これらのことは
実は聖書にそのまま書かれています。
イエス様の弟であり
エルサレム教会の監督であったヤコブが
次のように教えています。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を
言い表し、互いのために祈りなさい。
いやされるためです。義人の祈りは働くと、
大きな力があります。」
(ヤコブ 5:16 新改訳)
力ある祈りが出来るようになるためにも
クリスチャン同士の間にわだかまりが
あってはならないのです。