慈悲とは

テーマ:

 

慈悲を言葉で表現するのは難しい

 

 

慈悲を言葉だけで正確に説明するのは非常に難しいです

友情・博愛とか、儒教の義とか、キリスト教の慈愛とか

似たような言葉はありますがどれとも微妙に違います

 

しかし、例えば蜂蜜の味を知らない人に言葉だけで伝えるのは難しいですが

一舐めすれば言葉の意味が理解できると思います

 

 

  慈悲とは(概念的な説明)

 

yuppyさんの記事を読んだ時

純粋な慈悲の心ってこういうものだとしっくりきたのです

先ずはyuppyさんの記事を読んで(蜂蜜を舐めて)から解説を読んで下さい

それで間違いは減ると思います

 

慈悲とは自身や他者の痛みや苦しみに共感し、自らの身体、言葉、心を通じて自他の抜苦与楽を実現する行動を言います

 

抜苦=苦の軽減を願う心、能力、実践です

与楽=幸せを願う心、能力、実践です

但し自己中心的でもなく自己犠牲でもない、だから「自他の」とつくのです

 

単純な優しさとも違って

例えば子供が泣いた時にすぐに助け上げた方が良いのか

自分で立ち上がらせるように見守った方が良いのか

ケースバイケースで一概には言えないのです

 

泣いているという行為に感応するのではなくて

その奥にあった気持ちや状況を共感し

どうした方が子供の為になるのかを判断し行動するのです

 

感応とは感情に巻き込まれることです

感応しちゃうと例えば溺れている人を助けようとして一緒に溺れたりします

共感は感応してない状態で人の心に触れあえるという意味です

 

愛との違いは智慧と慈悲は両輪だということです

 

 

  yuppyさんの素晴らしさ

 

概念は難しいですが

実際には誰でも大なり小なり慈悲の心は持っているし(但し普段は自我=エゴがあるので制限がある)慈悲の行動を取ったりもします(無我なので気づかない)

それでも意識していないだけで断片は見ていると思うんですよね

 

ただそれは自分に親しい人や仲間にという狭い範囲が多いですよね

人間には愚痴の心が備わっていて

慈悲とは反対の作用をする(心が選り好みしたり、言い訳をしたり、恥ずかしがったり、面倒くさがったりする)からです

 

但し、教師の場合は教え子の為に広い慈悲をみせる場合があるかもしれません

(教師に人格者が求められるのはそういう点かもしれません。また親だと愛情の方が強過ぎる場合があります)

 

多くの場合は赤の他人に対して慈悲を実践する場合であっても

一人とか狭い範囲の人に対しての場合が多いですよね

 

yuppyさんはそこから範囲を広げていって

より多くの人の奥底にある気持ちを

何とかして汲み取ってあげたいと願い行動する人です

 

恐らくですがその瞬間、自我(エゴ)が入り込む余地はなく

純粋に、しかしごく自然に抜苦与楽のことだけを考えていると思うんですよ

 

共感する対象は広げられるので

それが限りなく大海のように広がった心が慈悲の心です

必死に願うのではなくて穏やかな心で願うんです

 

 

  苦しんでいる人だけが対象ではない

 

また、慈悲は苦しんでいる人を救う時だけでなく

人を楽しませることも含むので、誰に対しても有効です

同じ事象や言葉を使っても場の空気を和ませるのが上手な人が居ますよね

 

笑いと攻撃は紙一重なんです

なので空気を読むのに失敗するとスベるということが起るわけです

またスベったとしても

その後の対応次第で笑いに変えたりできるばあいがありますよね

 

仏教の悪は「生き方が下手なこと」善は「生き方が巧みなこと」

だというのはそういう意味なんです

結果が悪だから悪ではなくて、その悪果を善の原因に変えられればそれでいいのです

人生は続いているのですから

悪果を以って善因と成すですね(自業自得の本来の使い方ですね)

 

また自分を含む誰かに一方的に犠牲を押し付ける

又はそれに繋がる心を悪というのです

なので自己中は勿論、自己犠牲も仏教では悪です

ケースバイケースなので絶対にやるなとは言わないけれど

摂理に逆らえば

それによる弊害があることは知っておくべきですよってスタンスです

 

それを理解すると善悪の捉え方が変わってきます

智慧と知恵で違うのはそういう物事の線引きや優先順位や捉え方です

 

 

  余談です

 

私も含め多くの人が、どちらかと言えば智慧(本質や解決方法)

の方だけを追い求めがちですが

最近は慈悲の大切さを痛感しています

両方育てないと勿体ないと思うようになってきたんですよね

 

何故上手くできないかよりも、そうなる背景があるんだろうなとか

もっと自分が気づいていない違うことを訴えたいのかもとか

分からないにしても想像するだけで違った景色に変わると思うんですよね

 

また、yuppyさんの時より見せる

とてつもない器の大きさと、日々成長していく姿は

私の怠け心を引き締めてくれます(元々が怠け者気質なんですよ)

 

勿論、私は私のやり方で生きていくのですが

あんまりカッコ悪いことはできないな、yuppyさんが見てるし

(お天道様が見てるみたいな言い方 爆  笑

という気持ちにさせてくれます

 

お釈迦様は、仏道は善友に巡り会えたならば完全に成功しますと仰っています

朱に交われば赤くなるの様に、人は周囲の影響を受けます

善い人と仲良くなれたのはとても有り難いことです

 

私も人の奥にある気持ちを汲み取れるよう精進したいです