先週の3日間開催は初日にホームランをかっ飛ばして、

前のめり姿勢で日曜のスプリングSまで駆け抜けた。

部屋はレニングラード攻防戦の前線基地のようになった。

食卓に新聞を広げ、虫眼鏡でデータを拾う。

テレビを見ては歓声を上げ、罵り声と拍手が交錯する。

ひとりスタンド風景だ。

余人が覗いていたら何と思っただろう。

 

髭もそらずにコンビニに新聞を買いに行き、

晩メシを喰いながら読む。

何か発見をするとマーカーに手を伸ばす。

時として箸は置き去りになるから、

メシを喰い終わるのに土曜日は3時間掛かった。

食卓が狭くて検討がはかどらないので、食器を下げる。

シンクタンクで食器がピサの斜塔を築いていく。

 

検討に疲れると、人間の声が聴きたくてTVをつける。

でも、すぐに新聞に目を戻す。

これで500円は安い。競馬新聞は素晴らしい。

固まってしまった膝をほぐしに、部屋の中を散歩する。

動物園のクマのようだ、という母の声が聞こえる。

(母は10年前に93歳でなくなっている)

小学生の頃からわしの動態は変わらないらしい。

毎日、夜明けと同時に目覚めた。

窓を開けて空気を入れ替え、ピサの斜塔を片付ける。

朝食をネコ飯で済ますと、

コーヒーを入れて、そのまま戦闘態勢に入る。

 

日曜日は出入りの激しい肉弾戦になった。

徐々に当たらなくなっていったのは、わしの疲労のせいだろう。

障害の3連複が最後の的中になった。

午後、テレビの音で目を開けると馬が走っている。

ソファで気絶していたようだ。

急いで戦線復帰するも勘が戻らない。

 

スプリングSのヒューイットソンを見届け、

12Rはやらずに晩のおかずを買いに行くことにした。

立ったまま食卓に両手を突いて馬柱をながめ、

ここは12番の単勝だけ買っておくかと

独り言を言ったのは記憶している。

でも、身支度をしているうちに忘れて、

スーパーへ行ってしまった。

(最後に勘が戻っていたのだった。なんという…)

 

日曜の夜はいつももの哀しい。

つぎの競馬まで♪もういくつ寝ると、なのだ。

平日になるとコロナが戻ってくる。

大外を猛然と追い込んでくる感じだ。

わしはシニア×持病(臓器ふたつ)の典型的な感染注意者だ。

地上にいるのに溺れているような感じ、と聞く、死に様が怖い。

ネバネバの痰がからむように肺が潰されていくらしい。

 

ロスでは医療が十分に回らなくなった。

呼吸困難なのに診察されず死んだ、という例があった。

まさに地上溺死者である。

「国内を5万~50万人の感染者が歩き回っている」という

大学教授の推定は、ゾンビ映画のようだが、本気だ。

ロス郊外のシェラトンは客室を感染者隔離用に提供した。

 

日本は大丈夫だろうか。

パリもロンドンも大通りに人がいない。

こういう日本の反応の緩さを中国では「仏的」というらしい。

われわれは仏さんか?

 

ドバイ帰りのルメールは2週間の隔離対象になった。

騎乗はいつから? 桜花賞はダメそうだが、皐月賞は?

それよりも何よりも、わしをパドックに入れてくれ。

新聞記者だけがパドックにいるのはズルいぞ。

やはり、わしらはホトケさんなのだろうか。