タクシーのおっちゃん2 | 神さんの言うとおり

神さんの言うとおり

救われてる?

あっという間に1月も過ぎ、

カリフォルニアのカンファレンスも無事終わった。

 

今回もまた、いろんな人に会って色んな話をしたり、

チームのメンバーで忙しく働いたり、

普段はオンラインで顔を合わせてる人たちと

実際に顔を合わせてハグしたり、

ほんまにあっという間に過ぎた夢のような時間やった。

 

それについても、色々と書きたいんやけども、

とりあえず、まだ書きかけの話を終わらせてしまおうと思う。

色々中途半端になってかたじけない、みなさん。悲しい

 

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というわけで、

タクシーのおっちゃんの怒りもおさまり、

私はまた病棟に戻って、本格的に退院するために動き出した。

 

詳細は省くけども、ここでもまた、

受付の人にあからさまに無視されたり、

アラブ人のドクターに怒鳴られたり、

マイクに電話越しに戦ってもらったり、

色々あって、面白かったんやけど、

ようやくなんとか退院に漕ぎ着けて、

手続きが終わった頃にはもう夜になってた。星空

 

で、ホテルに帰るために、例のタクシーのおっちゃんに電話してみたら、

ずっと待ってくれてみたいで、すぐに出てくれた。

 

おっちゃんっていうても、多分30代後半か40代と思われるこの運転手さん、

前回の記事では怒鳴り倒してるイメージやけど、

元々の出会いは、1日目の夜中、ホテルに戻る際、

他のタクシーは誰も来てくれへんかった時に、唯一来てくれた人で、

時々、聖地旅行中に具合が悪くなったクリスチャンを乗せて

必要であれば、真夜中であろうと、遠くでも送って行くと話してた。

 

旅行中、しかも聖地旅行で具合が悪くなって入院とか、

誰もが避けたい状況やろうと思うけど、

霊的な視点から見ると、そこにも神さんの救いのご計画は働いてる。

 

で、病院からおっちゃんに電話したら、

すぐに行くって言うてくれたから、

ほんまにありがとう、I love you!って伝えたら、

 

「I love you飛び出すハート I love you飛び出すハート I love you!!!!!!

とおっちゃん。

怒っても激しいけど、機嫌が良くても激しい泣き笑い

 

で、病院の入り口に到着するなり、今回は窓を開けて

「あんた、結婚してるんか〜はてなマーク

って叫んでる。

 

だから、

「結婚してんで〜びっくりマーク

っていうたんやけども、

 

ホテルに向かう道中、

「今度はいつ来るん?

 今度来たら、一緒にディナーに行こう。

 ワインも開けようなシャンパンロゼワイン

とかいうて、すっかりご機嫌。

 

ちなみに、車の中には退院直後のPさんも一緒に乗ってて、

伝道スイッチは、とっくの昔にオン指差し

 

でもって面白い事に、その日の午後は、

運転手さんのいとこの子供の儀式が

私たちが泊まってるホテルであったらしくて、

「だから、さっきまでそこに居ってん。」

と運転手さん。

 

だ・か・ら、もちろん、

 

「8日目にやるアレやな?

 私たちの主イエス様も、受けたって聖書に書いてあるよ。

 彼もユダヤ人として生まれて生きたんやで。

 …神様は、あなたのこともこの国も、ユダヤ人のことも、

 本当に愛しておられるよ。」

 

八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。
さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。
ルカ2:21−22

 

と話してる内にホテルに到着。

その後、運転手さんとはハグをして別れて、

ホテルに入ってから、

 

Pさん:

「あなた、自分がデートに誘われてた事分かってたはてなマーク

 

私:

「分かってた分かってた。

 だから、ダンナ居るって言うて、

 ダンナの話もしたんやけどキメてる

 

Pさん:

「彼、全く気にしてなかったよね泣き笑い

 

 

結局、Pさんにとっては、

想像してたのは全く違うガリラヤの思い出となったけど、

きっとこれは、あの運転手さんと彼の家族の救いのためやったんやと思う。

 

私にとっては、色んな人から怒鳴られたり、

違う所に連れて行かれそうになったり、

あと、ここには書ききれんかったけど、

初日にタクシーを呼んでくれたお兄ちゃんとも仲良くなって、

娘を紹介してと言うから、「嫌や」と断ったり、

病院のカフェやら、廊下をただ歩いてるだけでも、

アジア人がほとんど居らんかったからか、

やたらと目立ってたみたいで、

色々、コントみたいな数日間やった。

 

今回、この10月のイスラエルツアーで一貫して語られたのは、

神さんが、どれほどユダヤ人を愛してるかってこと。

ほとんどの人がまだ、彼らのメシアについて盲目になってるけど、

神さんは何千年も前から彼らに語り続けてる。

それと今神さんは、私たちクリスチャンを世のひかりとして

色んな形で用いておられるということ。

真っ暗闇の中では、ただ存在するだけで光は目立つもので、

いい意味でも悪い意味でも何かと注目を浴びることも多いし、

光として、盲目に慣れてる人には見えへんものが見えるぶん、

それを伝える役割もある。

 

全てを委ねるのは覚悟がいるし、

びっくりすること、大変なことも多いけど、

神さんと共に歩む人生は、やっぱり面白いニコニコ

 

救われてる?

 

「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
マタイ4:15-16