神は愛 | 神さんの言うとおり

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救われてる?

この間、事実を明かした事で、また色々と起こってるわけやけど、

こうやって、闇に光を当てるとその反応は、

大抵、次の3つに分かれる。

 

①やっぱりひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球

②アナタは人を裁いてるドクロ

③真実なんかどうでも良い、”愛は寛容”。

 

でもって、いつも言うけど、

 

「これは裁きじゃない。

 ただ、事実を言うてるだけ。」

 

今回も同じ。

 

一つ前のブログを普通に読めば分かると思うけど、

私は事実に光を当てただけ。でも、

人によっては、それが闇を照らす光に見え、

またある人には、それが怒りに見え、

またある人には、見てはいけなかったものを見てしまったようで、

必死で目をそらしてる。

 

それぞれの反応が違うのは、

それぞれの腹の中にあるものを反映してるだけの事。

悪いのは闇であって、事実を照らし出した光ではない。

そんでもって、闇は闇であって、絶対に光に勝つことはない。

 

こっちにいると、クリスチャンに会う機会が多い分、

クリスチャンによって傷つけられ、

そのことから神さんを憎んでる人、クリスチャンを毛嫌いしてる人に会う確率もかなり高い。

 

そこで、ただの無神論者とかでなく、

クリスチャンをひどく毛嫌いしてる人の話を、よーくよーく聞いてみると、

 

教会内でレイプをされたり、教会内で”自称”クリスチャンや牧師に騙されたり、

大抵、きっかけはそこ。

 

でも、ほとんどの場合、

それが不信感となり、最終的に憎しみに変わるのは、

 

それを教会内の人に訴えた時に、

その事が表沙汰になる事や、

牧師の立場や教会の評判が落ちるのを恐れて、

または、教会の”和”が乱れる事を恐れて、

「愛」という名の「無関心」のもと、

 

事実を確認しようともせず、それを抹消しようとした

”クリスチャン”達の姿勢に、さらに傷つき絶望してる。

 

教会の中にも闇がある事は、聖書の中でなんども何度も警告されてて、

それに対する私達の取るべき態度も、はっきりと書かれてる。

また、その闇の行いをする人達の行く末も、はっきりと書かれてある。

 

今回も、今、あれこれと抵抗してる人達の言い分を聞いてると、

結局のところ、その人達の関心ごとは、明かされた事実でなく、

その事で影響を受ける教会、団体、人達・・・つまり”自分”が心配なだけ。

だから、真実を追求しようともしない。

追求すれば、余計に自分の都合が悪くなるから。

 

そして、タチが悪いのは、それが「愛」やと思ってる事。

でも、聖書にはこうある。

 

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のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

第一ヨハネ4:8

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そして、愛だ愛だと叫びながら、無関心を肯定する人の

多くが「隠れ蓑」にしてる聖句が第一コリント13章。

でも、そこにはこう書いてある。

 

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愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

第一コリント13:4-7

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私達の神さんは、不正を見逃すような神じゃない。

時が来れば、必ず裁かれる。

それから、不正に光を当てる事と、神の裁きの違いを理解せず

混乱している人達へ。

 

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私が書いたことのほんとうの意味は、

もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、

人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、

そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。

外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。

あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。

第一コリント5:11-12

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そして、今回のことで言えば、まさにこれ。

振り払っても振り払っても、しつこく絡みついてきて、

自分達の利益のために、不正に人のものをむさぼった。

 

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ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、

そしてむさぼりを殺してしまいなさい。

このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。

コロサイ3:5

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その不正に光が当てられて、否定の余地がない事も認めつつ、

それでもなお、そこから離れたくない人達が、

自己保身の為に、必死で光を否定する。

 

でも、神を知らず、聖書を知らん人ならいざ知らず、

聖書を信じてると言うておきながら、自分の「無知」を晒してるとしたら、

それはもう、その個人の責任で、

なんども言うけど、闇に光を当てた者に対して憤りを覚えるのは、お門違い。

 

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彼らは神を認めようとしなかったので、

神は彼らを無価値な思いに渡され

そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。

あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、

人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、

無知不誠実、無情、無慈悲です。

彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら

自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

ローマ1:28-32

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最後に、神の裁きを勘違いしてる人達、

真実よりも、この世の自分の立場を優先する人達へ。

 

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犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、

好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。

黙示録22:15

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人間が、闇に光を当てる事は裁きではない。

最終的な神の裁きを免れる為に、今、悔い改めのチャンスが与えられてるんやから、

悔い改めれば良いだけの話。

 

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