さっき上がってた、アミールさんの”ひと言”
日本語PDFファイルは、こちらです。
http://divineus.org/images/2018.02.23_A_Word_From_Amir.pdf
ちょっと補足をしておくと、
Israeli News Liveというチャンネルをやってる、メシアニックジューのSteven BenDenoonという人が、何年も前に、
「ビリー・グラハム氏が死ぬまで携挙は起きない」
と言ってて、
それが一昨日、ビリー・グラハム氏が昇天された事で、きっと色々な話が出回ってるんやと思う。
「と思う」というのは、私は、もうこの人とか、あとPastor Poul Begleyとかのメッセージは一切聞いてなくて、今、具体的にどういう事を言ってるのかは、確認してないから。
でも、アミールさんが、わざわざこんな事を伝えてるって事は、
何か騒いでるんやろうなぁと思う。
聖書を知る、神さんがどういう方なんか、神さんのご性質を知る、
これ、ほんまに大事。
救われてる
以下、アミールさんのメッセージ日本語版です。
━─━─━─━─━─
アミールよりひと言 2018 年 2 月 23 日
Original “A Word from Amir, Feb. 23, 2018.”
(http://beholdisrael.org/news-israel/amirs-blog/word-amir-feb-23-2018)
*****************
携挙に関する、偽の預言に注意! よく読んで、シェアしてください。
イスラエル国家のバビロン捕囚は、理由があった上での一時的なものでした。預言者エレミヤは、差し迫る 捕囚と、その理由を前もって知らせました。・・・7 年に一度の安息年が 490 年の間、一度も守られなかっ た為です。
要点は実にシンプルで、彼らの不信仰と不従順に対する罰でした。
この 70 年の間に、「イスラエルの地に早く戻る」と告げる、偽預言者や、”星を読む”とか、”主の声を聞く” 占い師達が、大勢居ました。
神は、主に聞き従う事、主だけを信頼する事を、イスラエルに教えておられたのです。
エレミヤは、次のように書いています。
”...まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
「あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。
あなたがたが夢を見させている、 あなたがたの夢見る者の言うことを聞くな。
なぜなら、彼らはわたしの名を使って偽りをあなたがたに預言 しているのであって、
わたしが彼らを遣わしたのではないからだ。――主の御告げ。――」
(エレミヤ 29:8-9)
エレミヤは、イスラエルに、「時がくれば、神がイスラエルを回復してくださる!」と、約束しました。 クリスチャン達が心で唱えている、この有名な聖句は、元々は、イスラエルに対する神の想いを、彼らに宛 てて書かれたものだったのです。
“...わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
――主の御告げ。――
それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。
――主の御告げ。――
わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべ ての場所から、あなたがたを集める。
――主の御告げ。――
わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」
(エレミヤ書 29:11-14)
今日、私たちは、全く同じ現象を目にしています。
主が、その民を連れ去る為に来られる –携挙- の日時を、偽預言者達が、告げています。
彼らは、ブラッドムーンや、日蝕、自然災害、ある人物の死などを使います。
これらの中には、終わりのし るしであるものもありますが、それでも、このどれによっても、その日、その時は分かりません。
イスラエルの帰還の時期が、明確に知らされていたにも関わらず、偽預言者が居たとすれば、時期が明確に 知らされていないのに、こういった偽預言者を信じる事が、どれほど危険であるか、お分りでしょうか?
イエスが地上に居られた時、彼にさえも、その日、その時を知らせなかったのは、神の恵みなのです。 イエスご自身が、このように言われました。
“...ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。
天の御使いたちも子も知りません。ただ 父だけが知っておられます。...“
(マタイ 24:36)
期待を持って主を待ち望むことを、学ぶ価値があります。
それによって、私達はこの迷い出た世に対する、忍耐、信仰、愛と思いやりを学びます。
これによって、私達は、信者として、主の来られる瞬間を待って、ただ受け身で生きるのではなく、積極的 に御父のビジネスに携わって生きることを学びます。
もし、主がすぐに来られるという希望がないなら、信者として私たちの人生は、全く無意味です。まだ私た ちがここに居る間、この時間を、死に向かっている世に希望を与える為に使わなければ、信者としての私た ちの競争は無意味です。
虚しく競争を走らないようにしましょう!
“...約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありません か。
また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいてい るのを見て、ますますそうしようではありませんか。...“
(ヘブル 10:23-25)
主を待ち望む。 アミール・ツァルファティ