第一テサロニケ4:16−18 | 神さんの言うとおり

神さんの言うとおり

救われてる?

娘に届いた半ズボン、「持って行ったろうか?」って言うたら、送ってくれと言うから、

日曜日の昨日、郵便局の箱に入れて、お母様自らがデリバリーラブラブ

愛とは、『感情キラキラ』でなく、『行動』ぶちゅー これ、基本やね。

 

っちゅうわけで、

最近、立て続けに色んな人と話してる話題が、

神さんが、私たちのことをどれほど愛してくれてるかってこと。

 

大抵は、色んなことで落ち込んでたり、失望したりして、

自分の信仰に自信を失いかけてるとか言う話から始まるねんけど、

それが、話してる内に必ず、

どんだけーーーーーガーンと、神さんの愛の激しさに溺れそうになる。

 

 

聖書について、歴史について、預言について、

ものすごい知識を持った人は、五万といるけど、

結局、人を救いへと導くのは、知識ではなくて

神さんの愛で、それを伝えられるのは、

神さんの愛を身を以て経験してる人だけ。

 

まずは、自分が溺れることやね。

神さん、すっごいんやからっキスマーク

 

っちゅうわけで、以下は、昨日ある人への返事に私が書いたメール。

自分で書きながら、神さんの愛にびっくりで、

きっと、他にも必要としてる人がいると思うので、一部内容を変更してシェアしておくよ。

 

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神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。

神が義と認めてくださるのです。 

罪に定めようとするのはだれですか。

 死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、 私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 ローマ8:33-34 

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このあいだの、Pastor JDのメッセージもそうですし、 

ずっと前に紹介した、Pastor Jonの、「クリスチャンが試練にあう5つの理由」というメッセージにもありますが、 

クリスチャンになったからと言って、毎日がバラ色の人生だなんて思ったら大間違いで、 

苦しいことも、辛いこともいっぱいあります。 

だから、落ち込むこともあるし、鬱にだってなるでしょう。 

 

それでも、肉のままの自分の気持ちで動くなら、復讐してやりたいとか、離婚してしまいたいとか思うところを、 肉の思いに鞭打って、神さんの御心に従おうとするのです。

 だから苦しいし、心に葛藤があっても当然です。 

むしろ、そういう葛藤を素直に神さんに打ち明ける事を、神さんはすごく喜んでくれると思うのです。 

それに、必ず助けてくれます。

 

 夫婦のことに関しては、 

聖書には、エペソ人への手紙5:22、コロサイ人への手紙3:18、第一ペテロ3:1に、 

「夫に従いなさい」と書いてあって、「尊敬しなさい」とは、またちょっと意味が違うのです。

 「尊敬」というのは、言われて出来るものではないけど、 「従う」なら行動ですから、神さんに従うと思って、夫に従うのです。 

 

あと、「許す」事と、「信頼」も、また別物で、 

裏切った人を、許すことは出来ても、何もなかったかのようにまた信頼することは、相手が変わらない限り出来ません。 

よくある例えに、刃物を持った人に切りつけられたとして、 その相手を許すことは出来ても、相手が刃物を持ってる限り、私たちは、二度と近づこうとは思いません。 

それは、「許してない」のではなく、「アホじゃない」からで、 神さんは私たちに「許せ」とは言ったけど、「アホになれ」とは言ってない。

 ちゃーんと、知恵も、脳みそも与えてくれて居るのです。 

 

それと、「許す」ことと、「癒し」も別物。 

刃物で切りつけた相手を、どれだけ許しても、傷はすぐには治りません。 

どれだけ許しても、痛いもんは痛い! 痛がる事や、傷を抱えてることに対して、それを罪のように言うクリスチャンの人がたまにいますが、とんでもない勘違いだと思います。 

 

私たちに出来るのは、「許すこと」であって、

傷を癒すのも、相手を変えるのも、神さんにしか出来ない事です。

 

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知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。

 私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。

 詩篇4:3

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誰がなんと言おうと、神さんはあなたを愛してる。

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