娘に届いた半ズボン、「持って行ったろうか?」って言うたら、送ってくれと言うから、
日曜日の昨日、郵便局の箱に入れて、お母様自らがデリバリー
愛とは、『感情』でなく、『行動』
これ、基本やね。
っちゅうわけで、
最近、立て続けに色んな人と話してる話題が、
神さんが、私たちのことをどれほど愛してくれてるかってこと。
大抵は、色んなことで落ち込んでたり、失望したりして、
自分の信仰に自信を失いかけてるとか言う話から始まるねんけど、
それが、話してる内に必ず、
どんだけーーーーーと、神さんの愛の激しさに溺れそうになる。
聖書について、歴史について、預言について、
ものすごい知識を持った人は、五万といるけど、
結局、人を救いへと導くのは、知識ではなくて
神さんの愛で、それを伝えられるのは、
神さんの愛を身を以て経験してる人だけ。
まずは、自分が溺れることやね。
神さん、すっごいんやからっ
っちゅうわけで、以下は、昨日ある人への返事に私が書いたメール。
自分で書きながら、神さんの愛にびっくりで、
きっと、他にも必要としてる人がいると思うので、一部内容を変更してシェアしておくよ。
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神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、 私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ローマ8:33-34
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このあいだの、Pastor JDのメッセージもそうですし、
ずっと前に紹介した、Pastor Jonの、「クリスチャンが試練にあう5つの理由」というメッセージにもありますが、
クリスチャンになったからと言って、毎日がバラ色の人生だなんて思ったら大間違いで、
苦しいことも、辛いこともいっぱいあります。
だから、落ち込むこともあるし、鬱にだってなるでしょう。
それでも、肉のままの自分の気持ちで動くなら、復讐してやりたいとか、離婚してしまいたいとか思うところを、 肉の思いに鞭打って、神さんの御心に従おうとするのです。
だから苦しいし、心に葛藤があっても当然です。
むしろ、そういう葛藤を素直に神さんに打ち明ける事を、神さんはすごく喜んでくれると思うのです。
それに、必ず助けてくれます。
夫婦のことに関しては、
聖書には、エペソ人への手紙5:22、コロサイ人への手紙3:18、第一ペテロ3:1に、
「夫に従いなさい」と書いてあって、「尊敬しなさい」とは、またちょっと意味が違うのです。
「尊敬」というのは、言われて出来るものではないけど、 「従う」なら行動ですから、神さんに従うと思って、夫に従うのです。
あと、「許す」事と、「信頼」も、また別物で、
裏切った人を、許すことは出来ても、何もなかったかのようにまた信頼することは、相手が変わらない限り出来ません。
よくある例えに、刃物を持った人に切りつけられたとして、 その相手を許すことは出来ても、相手が刃物を持ってる限り、私たちは、二度と近づこうとは思いません。
それは、「許してない」のではなく、「アホじゃない」からで、 神さんは私たちに「許せ」とは言ったけど、「アホになれ」とは言ってない。
ちゃーんと、知恵も、脳みそも与えてくれて居るのです。
それと、「許す」ことと、「癒し」も別物。
刃物で切りつけた相手を、どれだけ許しても、傷はすぐには治りません。
どれだけ許しても、痛いもんは痛い! 痛がる事や、傷を抱えてることに対して、それを罪のように言うクリスチャンの人がたまにいますが、とんでもない勘違いだと思います。
私たちに出来るのは、「許すこと」であって、
傷を癒すのも、相手を変えるのも、神さんにしか出来ない事です。
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知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。
私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。
詩篇4:3
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誰がなんと言おうと、神さんはあなたを愛してる。
救われてる