お待たせしました。
一昨日、ひーひー言いながら字幕を入れてた、Pastor JDのメッセージです。
なななんと、レンダリングに5時間
ユーチューブにアップロードには、なななななななんと
12時間以上かかった
日本で買って来た mac、あれから全然開いてないけど、
そろそろ、アップルストア―に持って行って、チェックしてもらおうと思う。
macなら、この作業が早くなる事を信じて・・・
それはともかくとして、
今回のPastor JDのメッセージ、
ぶっちゃげた話、あんまり長いから、途中を端折ろうかと思ったりもして
特に、最後の聖餐式は、
私自身、自分の教会でちゃんとやってるし、
皆それぞれの教会でやってるやろうから、もうイイんちゃう~と思ったり。
でも、今年初めやったと思うけど、
救われたものの、まだ教会に行ってなかったから、
この動画を観ながら、ずっと一人で聖餐式をやってたと、教えてくれた人が居て、
今回はまさに、その人の為に訳したようなもの。
でも、字幕を入れながら、じっくりとメッセージを聴いてたら、
結局 自分がすごく祝福されて
で、トドメが最後の Oh Happy Day
最初は、アップロードしながら、
きっと、Pastor JDが嬉しそうに歌ってるのを見て、
また 何やら批判的な事を言う人が居るんやろうな~とか考えてたけど、
今朝ふと気づいたのは、
今回のPastor JDのメッセージを、聖餐式も含めて最後の最後まで観た人は、
この Oh Happy Day を、
心から Happy Day と、受け止めたやろうって事。
そもそも、批判的に観てる人、
ただ、情報としてメッセージを聞いてる人は、
絶対に最後まで観てないよね。
逆に、聖餐式まで観る人のほとんどは、
なんだかんだと色々あるけど、結局のところ、自分は救われてるという事実、
そして、いつか、しかも近い将来、Jesusに会えるという事を実感して、
あそこで、Pastor JDが Oh Happy Day と歌いたくなる気持ちが分かったと思う。
それどころか、一日中 Oh Happy Dayを口ずさんでたはず
小さい部分では、それぞれ立場や、住んでる場所によっても、
色んな考え方の違い、受け止め方の違いはあるやろうけど、
一番大事なのは、私たちが救われてるって事。
天で大集合した時には、そう言った小さい違いは全部解けて、
ただただ喜びに満たされるんやろうと思う。
今回、長いメッセージを訳しながら、
途中、これをどう解釈すれば良いのかと悩んだり、
ただ、混乱を招くだけじゃないかと思ったり、葛藤もあったけど、
最後の締めが、このOh Happy Day
昨日は一日中、口ずさんでた
生きてると、色々とあるけど、
この地上での人生も、きっと同じじゃないかな。
早く来て欲しいなぁ~
Oh Happy Day
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主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、
空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
第一テサロニケ4:16-18
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救われてる