この日の朝早くにも、また警察襲撃事件があって、
メッセージの中では、Pastor JDが触れてるけど
それ以降も、ほんまに 毎日 毎日 アメリカ中で、警察が襲われて、
その上 今週は、大統領選のラリーか何かで、オハイオ州が エライ事になってて
カリフォルニアでは、ここ数日で 結構な数の地震が起きてるらしい。
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民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
マタイ24:7
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まさに、Jesusが言うた通りの事が、起こってるけど
そんな中、土曜日は 先日 天に召された 兄弟のメモリアルサービス(お葬式)に行って来た。
最近は特に、携挙に関する希望を強調してたけど、
携挙がいつ起こるか、私たちには知らされてないのと同様、
私たちは、自分の命がいつ終わるのかも知らされてない。
でも、クリスチャンにとって死とは、神さんや Jesusが居る 天国に行く事を意味してて、
今、地上でまだ生きてる私たち、クリスチャンも、時が来れば 必ず天でまた会えると、
聖書の中で、はっきりと約束されてる。
これもまた、祝福された希望であって、
人が亡くなる時こそ、神さんを知ってる人と、知らん人との明暗が、はっきりと表れて、
クリスチャンで良かったなぁと、心底 感じる。
っちゅうわけで、
今回、天に召された兄弟は、おとうちゃんのチャーチの人で、
やっぱり私たちにとっては、家族のような、
子ども達にとっては、おじいちゃんのような存在やったんやけど、
なんせ、80歳を過ぎてたから、
教会の外での彼の人生は、あんまり知る機会がなくて、
今回 のメモリアルサービスも、ホテルで行われたしで、
どんな風になるのか、想像もつかんままに参加。
まず、その人は白人で、奥さんの方が黒人。
でもって、精神科医であり、大学の教授でもあって
アルコールをはじめ、色んな中毒患者の矯正プログラムを 大学で教えながら、
地域では、第一人者として、矯正施設の設立にも携わってたらしい。
だから、参列者の中には、その人の影響を受けて、
現在も矯正現場で活躍するカウンセラーや、ドクター達もいっぱいで、
中には、元アル中患者で、今はカウンセラーになってる人とか。
だから、ホテルで行われると聞いた時に、想像はしてた通り、
クリスチャンと 非信者が半々と言う感じ。
その上、人種的に見ても、白人と黒人が半々で、
その中に 私たち アジア人ファミリーが5人混じってると言う、
世間からは、ものすごくかけ離れた空間で、
でも、みんなに共通してたのは、彼の事を心底愛して、心底彼を慕ってると言う事。
人種や年齢、立場に関係なく、
ほんまに色んな人が、彼との思い出話をして、笑ったり泣いたり
これこそ、神さんにしか出来ひん 穏やかで、愛に満ちた良い時間やった。
特に、人生を人を励まし、人に与える為に生きて来たような その人は、
語る人 語る人、みんなが、その知識の広さ、深さに、驚いたって言う中で、
最後に思い出話をした、牧師でもある 奥さんのお姉さんは、
「彼にも、どうしても悟られへん事が、1つだけあって・・・」
って言い出して
それに対して、一同が シーンと 続きに集中したら
70歳を過ぎるまで、救いや福音について、どうしても理解出来ひんかった その人が
ある日、奥さんと、そのお姉さんと三人でランチを食べてる時に、
「ぼくのために、祈って欲しい。」
と言い出して、
その場で三人で手を繋いで祈ったら、
その途端に、その人は 目が開かれて
「今、自分が救われたのが分かったっ



って、大喜びしたって 証を話してくれた。
私が出会った時には、その人は すでに救われてて、
私たちと一緒に、アッシャーの奉仕をしてたぐらい元気で
教会では、珍しい白人のおじいちゃんって、イメージやったけど
ずっと教授や医師として慕ってた人にとっては、
結構、衝撃やったんちゃうかなぁと思う。
何よりも、人種の壁を超えて、その人が愛し、その人を愛した人が集まって、
泣いて笑って、ダンスしたあの空間は、間違いなく神さんが臨在してた。
天国でまた会えると言えども、しばらく会われへんのは、やっぱり寂しくて
出来れば みんな一緒に携挙されて、地上での別れはもう経験したくないけど
やっぱり神さんは、最後の最後まで 人を救う事を諦めてなくて、
全てを神さんの栄光の為、救いの為に、私たちクリスチャンを世の光として使われる。
早くJesusが来て欲しいけど、
世がどんどん暗くなるからこそ、
私たちクリスチャンが、世の光を輝かせる時やね。
マラナタ

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子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、
そして、神の御前に心を安らかにされるのです。
たとい自分の心が責めてもです。
なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
第一ヨハネ3:18-20
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