
チャーチでみんなの顔を見て、みんなでハグして いっぱい泣いて
礼拝が始まってからは、おとうちゃんの歌をいっぱい歌って、やっぱり泣いて。
でも、結局はいつものように歌えば歌うほど、だんだんと賛美に変わって行って
泣きながらも、心は喜びに満たされると言う、不思議な感じ。
これ、神さんを知らん人には、想像出来ひん光景やと思うけど、
おとうちゃんが居ない事は すごくすごく寂しい。
でも、それ以上におとうちゃんの人生を通して 神さんが成し遂げた事を振り返ると
ハレルヤが止まらない。
そして、心配してたPastor Sandraも、話し始めて最初はちょっと涙で声がつまったけど、
やっぱり話していく内に、賛美に変わり、シャウトに変わり、
そして、歌って踊って それからみんなで祈って ただただ神さんの御業にみんなで感動した。
ハレルヤ

今回、おとうちゃんが亡くなってから、心がマヒして涙も出ぇへんかった時、
とにかく泣こうと思って、おとうちゃんの歌を聴いてたら
今まで考えたこともなかったけど、おとうちゃんの歌の中には天国に関する歌がすごい多い事に気づいた。
それから、おとうちゃんがこれだけ待ち望んだ天国で、今はJesusと一緒に居るんやなぁって思うと、ほんまに良かったなぁって心から思えてさ。
今まで、おとうちゃんの曲と言えば、私は 語り掛けるような静かな曲が好きで、テンポの早いのはあんまり聴いてなかったんやけど、
今回、この曲を改めて聴いたら、自然と顔がほころんできたよ。
この曲を書いた時、おとうちゃんは夢の中で天国に行ったんやて。
でもその時は、「お前の時は まだ来ていない。」 って言うて、追い返されて
中には入れてもらわれへんかった。
戻って来たくなかったけど、結局目が覚めて この世に戻って来て、その時に書いた曲がこれ。
これを聴いてると、
おとうちゃんは今、あの日 入りたくても入られへんかった天国でJesusと一緒に居る。
そしてこの世に残した Pastor Sandraや、私達の事を思い出して悲しむスキもないほどに、天国をエンジョイしてる様子が目に浮かぶようで、嬉しくなる。
もう痛みも、苦しみもない。
目の前に神さんが居て、Jesusが一緒。
私達もいつか天国へ行く。
そしておとうちゃんにもまた会える。
それが私達クリスチャンに与えられた 最大の特権。
これ以上に大切な事なんかない。
ステキすぎっ

ハレルヤ
