カセットテープがワカメ -136ページ目

カセットテープがワカメ

キノコ国本剛章の音楽活動・妄想・ノリツッコミなど。

ファミコンBGMはもちろん自動演奏音楽なわけでプログラマーが「音程」「音符の長さ」をデータ入力するわけです。そこは100%デジタルの世界で無味乾燥な数字と記号の羅列ですよね。
一方音楽というのは昔からアナログ世界のものでコンピュータとの相性が悪く、パソコンがかなり普及してきた1980年代初頭にもまだ安価でまともな音楽製作ソフトはなかったのです。
そんな中1983年に登場したのがMSXコンピュータ。そしてヤマハから発売されたFM音源ユニットと自動演奏ソフト「ミュージックコンポーザ」。これは当時画期的な製品でしたね。自動演奏に興味津々だったなんちゃって大学生キノコさんはすぐに買いましたよ。
知らない方のためにざっと性能を紹介すると入力はステップライトのみ。(MIDI端子が装備されていましたがMIDI入力は不可)同時8和音(8音色)発声、クオンタイズ(分解能)が1拍の96分の1。データの保存メディアはカセットテープ!ピーーーーギーガガガゴグギゲゴガゴってやつね。
いやー懐かしい。性能は現在と比べると幼稚なもので複雑な演奏をさせると明らかにテンポが遅くなったりリピートの直後なんかもガクッとくるくらい間が空くのね。画面表示もドットがデカいから1パート、5線譜2段まで。画面内の音符、メチャメチャデカかったなー。アーティキュレーションを重視していてコマンドがいろいろあったため、音の強弱とか、やれスタカートだレガートだアチェレランドだデミュニエンドだ、と凝って作ってると1画面に1小節しか表示されなかったりとかね。
でもこのソフトのおかげでアナログ世界とデジタル世界はずいぶんと接近しましたよ。私のファミコンBGMはほとんどこのソフトで作ったわけです。もうとっくの昔に捨てちゃって記憶に中にしかありませんが「鈍クサいけどかわいいマシン」だったなー…

私とハドソンの関わりあいの始め、それが
「チャレンジャー」でした。
発売が1985年10月。
当時私は23歳の「なんちゃって大学生」でした。

大学にはまったく通わず、バンド活動と楽器屋でのアルバイトに
明け暮れる毎日。
ファミコンは持っていませんでしたがゲームセンターが大好きで
毎日のように「ペンゴ」や「マッピー」「リブルラブル」にバイト代を
つぎこんでたように記憶しています…

ゲームの中でのBGMの重要性はプレイヤーとして肌で感じていましたので「チャレンジャー」のお話が来たときにはとてもやりがいのある仕事だと張り切った記憶があります。
それと中心ユーザーである小学生の存在は常に意識していました。
学校の登下校時に友達どうしで口ずさみながら歩けるような曲を
作りたいな…と。

「チャレンジャー」の1面BGMにシューベルトの「軍隊行進曲」を使ったのは自分が小4・小5のときに学校からの帰り道、友達とたて笛を吹きながら歩いた記憶があったからなのです。

キノコと申します。
ハドソンのファミコンBGMを作曲していた者です。
もう20年も前の話で記憶もうすれかけていた昨今、
「FAMICON 20TH ANNIVERSARY ORIGINAL SOUND TRACK VOL.2」というCDをみつけました。このアルバムの中の
「チャレンジャー」
「スターソルジャー」
「ヘクター’87」
「迷宮組曲」

がわたしの作品です。
3和音+1ノイズ、PSG音源のとても稚拙な作品たちです。
blog002

そうかーもう20年もたつのかー
しばらく目を閉じ沈思黙考。
世の中ずいぶん進歩しましたよね。
ポピュラー音楽の表現方法も安価に多様なことが可能になりました。
でも技術の進歩=人々の幸せではないことはよく指摘されることです。巻き戻し、早送りに時間がかかるカセットテープ。お気に入りの曲を何度も繰り返し聴いているとある朝突然ワカメになって2度と聞けなくなるカセットテープ。CDやMDに比べると何一つとりえのないおバカなメディアですよね。
でも楽しいオモチャだったことも思い出したいのです。2台のラジカセを向かい合わせにして原始的な多重録音をやった経験のあるかたは少なくないはずです。今のCDやMDで小学生がそんな遊びができるでしょうか。
「懐古主義」ではなく現代のいいものはいい、昔の良かったものも良かったという視点で自分の曲あるいは1970年代、80年代の音楽を振り返ってみたいと思います。