こんにちは。きのひです。

「塞王(さいおう)の楯(たて)」 今村 翔吾 著 を読みました。

2021年10月30日 第一刷発行

2021年11月30日 第二刷発行











何でも貫く大砲と、誰にも破れぬ石垣が対決したら・・

時は戦国。近江国(おうみのくに)(滋賀県)に穴太衆(あのうしゅう)と、国友(くにとも)という職人集団が拠点を構えていました。











城などの石垣を築く石工(いしく)の穴太衆と、鉄砲鍛冶(かじ)である国友。

どちらも全国トップクラスの職人集団です。












匡介(きょうすけ)は幼い頃、城が攻め落とされる混乱のなか家族を失い孤児に。

そこを穴太衆の頭で「塞王」の異名を持つ源斎に救われ、弟子となって頭角を現します。











誰も破れぬ石垣をつくり、戦乱の世を終わらせると誓う匡介。

木幡(こはた)山に石を送り届けた時、源斎から「新たな仕事が来た」と文を渡されました。











それは大津城の石垣修復の依頼。

大津城は世にも珍しい水城(みずじろ)です。











そのままでも相当に堅固な大津城。

しかし匡介は以前から一か所だけ改修の余地があると思っていました。











「外堀全てに水を引き入れます」

「だがそれには莫大な金と時が掛かると聞いているぞ・・・?」











大津城天守は湖畔に建っており、外堀に近づくにつれて陸が高くなる。

故に外堀の両脇途中までは水が来るものの、最も長い正面は空堀になっています。











これに水を引き入れるとなれば、正面側の土を大量に掘り出して低くする必要がある。

「正面中央部分のみを掘削し、擂(す)り鉢(ばち)状に造り替えます。これだと掘るのも、組むのも最小限で済むかと」











「確かにそうだが・・・水は高きから低きに流れるもの。それでは水は来ないのでは?」

「反対に、低きから高きに送ります」












匡介の案は「今ある外堀を擂り鉢状にする」「外堀に沿うようにして暗渠(あんきょ)を造る」

渠とはいわゆる溝のことです。











外堀の正面から湖に向け、堀に沿うようにして長い水路を造っていく。

「堀った渠に木枠を埋め、その上から土を覆いかぶせる」










「なるほど・・・棚田ですな」 

山を削り取って段々に田を作る場合、従来は山からの湧水を、上の田から下の田へ順々に送っていって水を張ります。











だがごく稀に高いところに水源がない棚田も存在する。

その時にこの手法が採られることがあります。
















これは「サイフォンの原理」

空洞の中に水が満たされた時、水は下から上へと逆流する。











加古川市上下水道局さんの「実験 2023年2月7日」に「まるでマジック?サイホンの原理を使ってバケツの水を抜く方法」がありました。











「普通、水は高いところから低いところへと流れます」

しかし、管の中に空気が入っておらず、水で満たされていれば、もとの水位よりも高いところをいわば登っていくようなかたちで水を運ぶことができる。












1.バケツに水をいれる

2.ホースの中に空気が入らないように気を付けながら、バケツの中にホース全体を沈めます

3.ホースの片方の口を押えながら、バケツの外に出す

4.バケツの水位よりも高いところを登っていくかたちでホースから水がどんどんあふれてきます











この仕組みを使い、匡介は大津城の外堀を水で満たした。

「『好書好日 2021.12.12』今村翔吾さん『塞王の楯』インタビュー」で現在も穴太衆の流れをくみ、石垣の修復などに携わる会社があることを知りました。











それは大津市にある「粟田建設」さん。

著者は取材で石積みの裏側に小ぶりな石を敷く技術や、技を極めるうちに「石の声が聞こえるようになった職人もいた」といった逸話を教わった。











「石垣を積む技とは、突き詰めれば人を守る技。さらに飛躍させれば泰平を築く技/自らがいらない世を、自らの手で築こうとする。という矛盾(むじゅん)した存在」

作中では、穴太衆をそうした葛藤をはらんだ集団と位置づけました。











「戦乱のなか、どう生きるべきか考えたのは武士だけではなかったはずです」