こんにちは。きのひです。

「ちはやふる 47」 末次 由紀 著 を読みました。

2021年8月12日 第1刷発行











「百の歌人の想(おも)いを、運命を背負い、戦ってこその『競技かるた』」

名人・クイーン戦はとうとう第四試合へ。











千早(ちはや)と周防(すおう)の追い上げがさらに加速する中、太一(たいち)が近江(おうみ)神宮・浦安(うらやす)の間に現れます。

そして突如、詩暢(しのぶ)の足に異変が・・











最後の名人戦を戦う周防、かるたのプロになりたい詩暢、挑戦者にまで登りつめた新(あらた)、仲間の力を得た千早。

4人が戦う五番勝負の名人位・クイーン位決定戦は、新2勝・周防1勝、詩暢2勝・千早1勝を経(へ)て第四試合に突入します。












「いい試合、いい勝負。終わってほしくない」

「でも拍(はく)は刻(きざ)まなければ。札(ふだ)はいつか絶(た)えなければ」
















私が競技かるたのことを知ったのは「ちはやふる」がきっかけでした。

「競技かるた」けっこう古くから行われていたんでしょうか。











一般社団法人 全日本かるた協会さんによると「競技かるた」は明治37年に現在行われているルールが制定されました。

もちろん、それ以前にも「かるた競技」は楽しまれていた。












でもルールは場所によって様々でした。

それを統一して、早く札を取るための方法を分析し、競技かるたを確立したのは、明治のジャーナリスト黒岩涙香(くろいわるいこう)だった。












涙香は新聞「萬朝報(よろずちょうほう)」に「かるた早取り法」の特集記事を掲載して、第1回の競技会を東京日本橋の常盤木倶楽部で開催しました。

その後、大正時代から昭和初期にかけて「競技かるた」は全国的に広がった。












マイ大阪ガス「炎の探偵社」2019/12/16さんによると近江神宮は「かるたの聖地」と呼ばれています。

それは小倉百人一首の巻頭歌を詠み、かるたの祖神としても尊敬を集める天智天皇が祀られているから。











近江神宮は競技かるた名人位・クイーン位決定戦、全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会といった競技かるたの頂上決戦が行われる場所です。

「競技かるたの人気の高まりを受けて、2018年に第1回世界大会が開催されました」











世界大会ってことは海外でも競技かるたをする人がいるんですね。すごいですね。

競技かるたが海外に普及したのは、実は一人の日本人女性、ストーン睦美さんのおかげです。











彼女は元々日本で競技かるたの選手として活躍していました。

それが約20年前、結婚を機に米国人のパートナーの都合でアメリカへ。











しかし、競技かるたへの情熱は冷めず、海外で競技かるたを紹介する活動を始めます。

イギリス、タイなどパートナーの赴任地が変わるたびに現地の方に「かるたをしませんか?」と声をかけ、各地で「かるた会」を立ち上げた。












ストーンさんは当時の様子をこう話します。

「友人に言わせると『普及ではなく布教だ』なんて笑われましたが、絶対おもしろさをわかってくれるはずと信じて活動を続けました」












そんな地道な活動が実を結び、十数年の間に各国で競技人口が増えていったそうです。

そんな中、2011年に競技かるたの世界を描いた漫画「ちはやふる」がアニメ化され、50カ国以上で配信されたことによって、競技かるたはさらに人気を集めた。












「しかし、日本人でも覚えるのが難しい句を、海外選手が覚えたり、聞き取ったりできるのでしょうか?」

大津市観光振興課の佐藤さんはこう教えてくれます。











「競技かるたは、1文字目の子音を聞き分けることが重要」

「例えば『ちはやぶる』の場合は、1文字目である『ち( chi )』の『 ch 』にあたる部分です」











「海外選手は『 ch 』と『 t 』のような日本人には聞き取りにくい微妙な違いを聞き分け、どの札が読まれたか日本の選手よりも早く判断することができます」

「第1回おおつ光ルくん杯競技かるた世界大会」優勝はフランスチームでした。