こんにちは。きのひです。
「秋暮(あきぐれ)の五人」 今村 翔吾 著 を読みました。
2019年4月18日 第一刷発行
葉月(はづき)(八月)に入り、陽射しも随分と和らいでいる。
木々をさざめかせる一陣の風の中に秋の香りを捉え、堤平九郎(つつみへいくろう)は菅笠(すげがさ)を少し上げました。
「あめ」と書かれた小ぶりの幟(のぼり)を立てた屋台車を曳(ひ)きながら町を流している。
涼しくなってきたからか、売り上げは悪くありません。
今日は流しの飴(あめ)売り以外にも目的があった。
目黒(めぐろ)不動のすぐ近くの五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)を目指しています。
山門の手前に屋台車を置き、平九郎は境内(けいだい)に足を踏み入れた。
五百羅漢寺には本殿のほかに東西の羅漢堂と、かなり珍しい三層の建物、三匝堂(さんそうどう)があります。
内部は通路が螺旋(らせん)状に巡らされ、上り下りの参拝客がすれ違わない一方通行になっている。
その構造から「さざゐ堂」とも呼ばれています。
「五百羅漢寺」って、普通のお寺とは違うんでしょうか。
天恩山五百羅漢寺は「目黒のらかんさん」として親しまれています。
こちらの羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて彫りあげたもの。
「らかんさんとは」お釈迦さまのお弟子さんで実在した人々です。
お釈迦さまの説法を実際に聴き教えのとおりに修行に励んで煩悩を払い聖者になった。
修業を積んで煩悩を払い真実の智慧を完成した聖者をインドで「アラハン」と讃えました。
仏教が中国に伝わり「アラハン」の発音をそのまま生かして「阿羅漢」と表現。
使い慣れるうちに「阿」がとれて「羅漢」と呼ばれるようになったのです。
お釈迦さまが亡くなられたときに集まった500人のお弟子さんたちが「五百羅漢」のモデルであるといわれている。
「らかんさん」は、後世の人々にお釈迦さまの教えを伝えていきました。
川越大師の喜多院さんにも五百羅漢についての記載がある。
「喜多院の五百羅漢は日本三大羅漢の一つに数えられます」
この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたもの。
十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普賢の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。
「羅漢とは阿羅漢。略称して羅漢という。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味」
笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がおられる。
「そして、いろいろな仏具、日用品を持っていたり、動物を従えていたりと、観察しだしたらいつまで見ていても飽きないくらい、変化に富んでいます」
ちょっと怖かったのは次の一文でした。
「また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています」
深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでに行ったかた、怖いなんて言ってすみません。