手は手でなければ洗えない。得ようと思ったらまず与えよ。
有名なゲーテの格言。
分かっていてもいつの間にか忘れてしまい悩みの迷路に入ってしまう。
そうなのだ。
人を信じれず愛せないからいつも孤独を感じてしまう。
孤独には慣れているが寂しさが無いわけではない。
言い換えれば、
寂しくても孤独に慣れてしまったという事。
これは非常に悲しい事だと思う。
人を信じず愛そうとすると冷めた目でしか人を見ることが出来ない。
やはり人を信じる事が重要なのだと。
自分に足りないのは信じる心。
それを養わない限り恋愛しても続かないだろう。
いつもフラれる理由はそこにあると分析。
どうせこの子は俺に対していつか気持ちが無くなるだろうと思いながら付き合う。
好きという感情はあっても最初から終わりを見据えているから深い愛情が出てこない。
相手からすると冷めてるように見え、次第にその溝が深くなる。
耐え切れず離れていく。
大体はこんなものなはず。
女運が無いと思っていたが自分に問題があるのではないかと。
ふと考えた。
今自分が置かれている寂しさはきっと大したものではない。
おじいちゃんやおばあちゃんが死別してしまい10年20年独りで生きる事の方がきっと遥かに寂しいはず。
最愛の人を得て最愛の人を失う事を経験していないからこそ最初から孤独の方が楽だったり。
ただどちらにせよ生きることの直ぐそばには寂しさがあるのだと。
自分から人を好きになることがなかなかできないから相手が好きだという感情や行動をぶつけてきてくれると感謝の気持ちや愛しさが自分の中に生まれ、自分もぶつかりたいと思う。
しかしそれは相手任せな事で自分の感情が後手になっている。
先手で感情を出せるようになりたい。
過去の心の傷が自分で思った以上に深い。
口では過去は過去と言いながら全く前に進めていない自分に喝を込めて。
手は手でなければ洗えない。得ようと思ったらまず与えよ。