北京オリンピックが閉幕しましたね。
選手の感動のシーンみたいのがずっとやってて、
それを見るたびに泣きそうになりました。
音楽聴いてても思うけど、
最近、涙もろい。
泣きはしないけど、
「くわっ」とくるのが激しい。
感情の起伏が激しいのでしょうか。
理論的に考えるより、
なんとなく感覚的に捉えることが多いこの頃で、
自分がなんでそんな風に思うのか
あまり理解できないこの頃です。
前とちょっと変わったなぁ、と思うことは、
潔癖症ぎみというか、
なんか汚い部分(←言い方が悪いです)を見たくないと思うこと。
人間の欲望の部分とか打算とか
世の中について知ることだとか
そういう汚れの部分を知ることが
大人になることのように聞こえてくるのですが、
「子供のように純粋な心」っていうくらいだから
きっと何かを知ったり身につけたりすることで大人へと変わっていく。
大人への階段を上る。
責任や自制心や気遣いや思いやり、
自分と人との関係をよりいいものにするために変わっていくこと以上に、
大人に目覚めたから汚くなる、ことが目に入ってしょうがない。
子供の頃から持ってるものなのかもしれないけれど。
人の中に自分への甘えや、
自分を大事にすることありきな考え方がないかを探ってしまい、
そこに理屈がくっついてるから余計に汚いなぁ、と思う。
ピーターパン・シンドローム。
「大人って人を大事にするもんやん」っていう理想に反して、
結構みんな自分が大事なんよなーっていうのが、
あんまり好きじゃない、この頃です。
だから純粋に何かを楽しんだり、
子供みたいにバカなことをすることが輝いて見えるのだと思う。
自分が笑うだけじゃなくて、
他の人が笑える何かを作り出すことは
人一人分以上の幸せを作り出す。
喜びも同じ。
慰めを当てにして人を頼るとか、
いつも優しくしてくれるからいい人とか、
そういう考えにはどうしても厳しくなってしまう。人に厳しい。
自分を守ってるから人を傷つけてしまう。
自分を傷つける人間が許せない。
だから戦争もいがみ合いもなくならない。
自分が傷つくことを恐れるのも人間の本能かな。
汚い部分を見たくない、ということは
人の汚い部分に嫌悪感を抱き、
自分の汚い部分に目を伏せるということ。
ちゃんと自分を見ておかないと、
自分が人と同じことをしていることに気づかない。
攻撃は最大の防御。
自分を守ってる人間には誰からも手は差し伸べられない。