昨日、今日と盛大にダラダラしてしまいました。
ひさしぶりにテスト勉強なんてしたもんだから、
その反動かw
日曜日の深夜まで、経営労務のまとめプリントを作って、
生産性がうんたら~、動機付けがかんたら~、
作業組織がなんたら~、と勉強し、
月曜にテストを受け、
まぁ、ボチボチ書けるだけのことは書いたので、
帰って寝ました。 夜はバイト。
帰って、夜更かし後、就寝。
そしたら、昼過ぎに寝覚め、
うったらくったらして、
ジャッキー、サモハン、ユンピョウ映画に若干はまり、
またムダに夜更かしして、
今日もなんだかゴロゴロ昼寝を・・・・・・。
そして奇妙な夢を・・・・。
ぬおぅ。
目覚めよ!布団の誘惑に負けるな!
明日はマーケティングのテスト → 勉強
新聞がちょっとたまってきた → まとめて読む
出すかどうか迷っているエントリーシート → とにかく書く準備を進めないと。
あとは、ワークシートをやろう。
机に向き合うと、集中力が3割増す・・・はずw
そう、それで。
よくあるのが、自分の過去10年から未来の10年間を考える。
そのような類の自己PRというか自己分析。
大事にしたいもの、あるいはその価値観を知るために。
直接、就活とは関係ないんですが、
自分が普段どういう行動パターンに出るか、
その根拠となる過去の経験を思い出してみる、ということを最近よくやります。
といっても、時々、ふと思うくらいのものですが。
知らぬ間に、性格や習性なんてものが形作られているけれど、
なぜ自分がそう思うのか。 悪い習慣なら直せるかもしれないし。
ここに自分の人生21年分を書き連ねるわけにはいかないし、
かなり局所的な話にはなるんですが、
一面性においてはあてはまるのではないかと思うので書いてみます。
ちょっとくらめの話なんで読みたくないという方はどうぞご遠慮ください。
小学校時代だったか、中学校時代だったか、
基本的に一緒に帰る人とかいなかったです。
なんだかんだマイペースで、自分を回りに順応させるということを知らなかった。
それゆえ、集団社会では何かとうまく溶け込めないような、そんな時期。
時に、仲良くなることはあっても、いつか微妙に距離をおかれ、
十数人が隠れて、走って逃げるようなこともありました。(置いてけぼりってやつです)
結構これはトラウマだったと思います。
これで友達と心から思えることはなくなったんだと、
一緒にいて適当に馬鹿やって笑いあってるぐらいのもんで。
高校も、まぁ、基本的には同じかもしれないですが、
勉強は割りとできて、運動というか、筋力がついたので、
プライドで身を固めつつ、
楽しくやろう的な。 時に調子こいて。
一緒にいることにひっぱられたり、むしろ迷惑かけたり、
そういうことをしないほうがいいと思っていたので、
友達とお互いに都合のいいとき以外は一人で帰る。自由が一番と。
それでも、遊ぼうと誘われれば、まず断らなかった。
塾も行かない子なので、基本的に暇だし。
でも、交流が無くなれば、自然と話さなくなる。
あと、高校のとき、メールは週に2,3通。 むしろたまに部屋に忘れる。
誘いに乗ることは得意でも、つなぎとめることは苦手。今でも同じ。
なんで、まじめに勉強やって、特別親に逆らうということもなく来たか。
きっと理由は認められたかったんだ、と最近思う。
勉強はやってみれば、なんか理解できた。
小4のときに、初めて自分が人よりできてるのに気づいた。
しっかり先生の話を聞いて、理解して、当てられたら答えて、
宿題も毎日出して、
そうするうちに、その分野では認められるし、少なくとも褒められる。
部活も必死で、自分の学年が練習ない日でも練習にいって、
地元のミニバス(ジュニバス)にも入って、
バスケ部顧問の先生が近所に来たときに練習してるとこ友達とアピールして、
(実際にはキャッチボールしてたけどw)
レギュラーにもなって、試合にも出て。
徒競走1500mで1位になったこともあった。
やりゃできることがわかってからは、何事も必死だったな。
それもこれも自分を正当化したかったのではないかと今になって思う。
自分は悪くない。自分は正しい。
勉強ができるけど、運動ができない。
勉強ができるけど、笑いがとれない。
それじゃ、意味がない。
全部できるようになろうとしてた。
中学校っていう場所は、基本的に人が人を見下すような世界で、
プライドをもっていても、人に好かれなければ、「アイツ~だよね」が当たり前。
保健室には必ず、そんな社会に耐え切れなくなった子が一人はいる。
そんな世界を少しは変えてやりたいと思った。
ヤンキーになれば、肩で風を切って、
絶対にだれも逆らわない、楽な世界がある。
何も強くないくせにそこに飛びついている人間が嫌いだった。
昨日は友達と言っていた人間に、影で悪口を言っている八方美人も嫌いだった。
自分にとっての正義はまわりにはなかった。
少なくとも大人しく目立たない子たちには、そんな思いを持った子も大勢いただろうけど、
社会に逆らう気はない。 目立たないように小グループで仲良く。
目立つグループほどやんちゃなことをやらかす。
自分はちっさく目立たないように生きる人間ではなかったので、
まぁ戦うこともなく戦いだった気がする。
だれもかれもが世渡りしている、怪我しないように。
そんな人間が少なくなるような学校へ進むべく、
進学校を目指していた、とも思う。
少なくとも、自分が嫌っていたやつらは自分とは同じ学校にこない。
高校に入ったら、
楽しくも厳しく、調子こいた挙句に大崩壊なんてことも。
2、3年では勉強だけに集中しようと。
なんかどことなくつながりあえないような。
いつ、だれが、関係を安く切ってしまうんではないか、とそんな感じもした。
まじめな学校は、臆病な人間の箱庭だった。
大学に入って、思ったのは、
なんか、こんなつるまなきゃいけないのか・・・・ってこと。
ひとりで勉強してひとりで合格した気でいた自分にとっては、
誰かと一緒に勉強するなんてことはまずなかった。
とりあえず、仲良くはなったけど、
始終一緒にいるなんて考えられない。
そんな中でサークル見に行って、
まず思ったのは、確か「みんな楽しそう、でみんな仲良さそう」。
それでいて結構サバサバしてて、
きっとそこが気にいったんだと思う。
あくまで歌聴いて興味持ったんだけど、入ろうと決めた理由は雰囲気だと思う。
何かに夢中になれること、
積極的に参加して、みんなで考え合って、
中学の合唱コンクールのような、高校での文化祭・体育祭の時の団結力のような、
そういう一体感がもう一度味わえるような気がした。
何よりも今思うのは、
みんな個性に溢れて、魅力的で、まじめで、
かつ純粋だったことが一番よかったと思う。
純粋っていうのは、
ハリーとパムなんかいい例だけど、
人との関係を軽く見ることがない。
人との関わりを「めんどくさい、もういいや」って断ち切らないところが、
信頼に値する魅力だったと思う。
どこかで裏切られるんじゃないかっていう心配をしなくていいから、
きっと安心できるんだと思う。
信頼関係というものに対して、
疑う心も求める心も同じで、
がっしりつながり合いたいと思うのは当然のことなのかもしれないけれど、
しっかり腰をすえて話をしてみたいと思うのは、
その人の中に信頼を見出さんとするからなのだと思う。
きっと自分の中で、こいつ信頼に値しない、と思ってしまうのは、
何か相手に、感情に揺るがされない守るべき芯のようなものを、
見出せない時なんでじゃないか、と思う。
考えが足らない、感情論に動かされているのではないか。
人のことをまず疑いの目でかかってしまう習性。
ちゃんとした考えもっているか。
悪いことに対して反省をするか。
悪いところに気づいたから嫌いというわけではまったくないけれど、
自分との信頼関係にヒビが入ってしまうと不安でしょうがなくなる。
だから、話をするしかない。
自分を正当化させたい人間だから、きっと自分が間違っていることを知らないといけない。
それが怖くて、正しく生きようとする。
思ったことをそのまま言う、
素でいることが、作った自分で居ないことが、
何よりも信頼の表明ともいえると、学びました。
自分をどんどん出していけと。
人に認められたい、好かれたい。 それが本音ですね。