劇団民藝の「カストリ・エレジー」

を観劇しました。


◇5/30(火)  昼公演  

紀伊國屋サザンシアター  11列

劇団民藝





THEガジラでの初演が1994年。
当時観たい観たいと思いながら、
いつしか胸中の年月に埋もれて今。

「やってる…!びっくり
民藝さんでの上演を知り、
30年越しのカストリ・エレジーです。





けたたましい犬の啼き声に追われ
必死に逃げ惑う二人の男。
ケンとゴロー。

ふたりはフィリピンの戦場から
奇跡的に帰ってきた復員兵。
いまだ戦後の混乱期にある東京。

ドブ川の橋の下。
バラック小屋で同じような身の上の
仲間たち(シベリア・川上・戦犯)と
非合法な商売で
その日暮らしをしている。

仕切る親方黒木の息子の妻は
なぜか夫黒木の目を盗んでは
男たちのバラック小屋にやってくる。

寄る辺のない男たち。
心の寄る辺のない黒木の妻。

ケンとゴローには
いつも語り合うささやかな夢がある。
いつかこのドブ川から出て、
ふたりだけで暮らす小さな家を持ち、
子犬を飼って自由に生きること。

しかし、
ある夜、バラック小屋に遺体がひとつ。
とりかえしのつかない事件が起きる。


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演劇って血がさわぐのですよね。
ミュージカルとは違う、
見終わった後からがはじまり。
それが演劇の真価かもしれません。

観て聴いて感動して
美しくて楽しくてたとえ悲しくても
「いいもの観たな〜良かった〜笑い泣き
というのが、私にとっての
ミュージカルやコメディ観劇なら、

観たその後から後から、
生きるとは社会とは人とは自分とは…
これまで自分が漠然としていたものを
根底から深慮するきっかけになるもの
に演劇はなり得ます。

ですから
あまり緩いものは選ばない傾向。


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カストリとは
粗悪な密造酒の事らしいのですが、
この戯曲は
登場人物たちを粗悪品になぞらえて
タイトルがつけられているのだろうと
思われます。

敗戦直後の日本。
家族も家も仕事もなく、
どぶ川で暮らす最下層の男たちの話。

それでも人は夢を見るのですね。

私は普段それを、
狂わない為精神を病まない為、
誰にでも備わっている
脳の防衛本能のような神経回路だと
思っているのですが、

ケンとゴローに焦点を当てると
それがなんとも
鋭く痛く綺麗な絆にみえてくる、
そこがこの戯曲の優れた点だと
思いました。

共感性をよばない
ファム・ファタールの女性の
見せ方が難しいところですが
どこかでまた観劇の機会があれば
彼女をもっと理解したいです。

ゴローの拙さは、劇中では、
戦場での過酷な体験からのPTSDに
よるもので、
ケンがそれを庇うかのように
見えたのですが、
それ以外にもなにか障害か遅滞が
あるように思いました。


詩人が可愛がっていた犬を殺された時に
「自分がやるべきだった」という
後悔を吐露するひと場面の空気が
きちんと印象づけられていた事で

逃亡したゴローを
約束の場所でみつけたケンが
彼に夢を見せながら
自ら手を下す最後に繋がるところも
さすがだと思いました。


重くて暗くて救いもありませんが、
演劇とはそこを描く芸術だと
常々思っており、

ぜひ上演されていたなら見て…と
言いづらい作品ですが、
私は今後もどこかで見つけたら
見ると思います。