読書記録です。


「春にして君を離れ」

アガサ・クリスティ   早川書房






先日、音楽座さんの公演を観劇して
久しぶりに再読してみました。


子育てを終えた
美しい妻であり母親ジョーン。
優しく有能な弁護士の夫、
それぞれ結婚して幸せな子どもたち。
そして美しい私。
完璧な半生だと信じていた彼女が
ひとり砂漠でふと疑念にかられる。

そう言えば、
あの時の娘の言葉、夫の態度…
いつも私が正しいと思っていた。

でも家族にとっては
私は疎ましい存在だったのではないか。


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再読してみると
記憶よりも面白い小説でした。


日本(母国語)の小説を読むときより、
文章の美しさや
人物像や情感を捉えるのが難しく、
おそらく
面白さを理解できていないのだろうと
常に感じていたので
翻訳された外国小説を
普段あまり読まないのです。

「春にして君を離れ」も
前に読んだときには、結局
そんなにジョーンは悪妻毒母なのか、
悪妻毒母というより
単にうざったいだけなんじゃないのか、
本当のひとりぼっちってなんなのか、
本当にジョーンはレスリーより
ひとりぼっちなのか、可哀想なのか、
私が徳を積めばこの先
ジョーンよりレスリーが幸せって
本気で思えるのだろうか、
という…感想を持ちました。

面白さが解らなかったわりに
こんな感想を持っていたというのは
この小説に
普遍的なリアリズムを感じたのでしょう。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


大きな事務所を経営する
弁護士をやめて
農夫になるという夫を
夢を持つのは素晴らしいけれど
現実をみましょうと諌める妻。

歳上の既婚者と不倫をして
駆け落ちしようとする娘を
注意する母親。

酒呑みで競馬にうつつを抜かす
軽薄な男と付き合う
18歳の娘を心配する母親。

折角なら
夫の弁護士事務所を継げば…と
息子に提案してみる母親。
(でも農業経営で成功する息子)

そんな家族の危なっかしい
人生のターニングポイントの
一つひとつに実に夫婦で
意見を交わし合うのです。
(少なくとも日本人の私から見ると
とても言葉を交わしているように
感じました)



自分に置き換えると
夫は「なんでも相談してね」という
姿勢を示してくれますが、
それを額面通りに受け取ってはいけない。

事案を整理して
対応パターン(答え)を全て列挙して
よりベターな順序を示して
「…だからこうしようと思うのだけど」
という相談でなければならない。 
(それもできれば書面で
メリットデメリットを表記しておく)
夫の答えは
「それがいいと思います照れ」で相談終了。


「〇〇なんだけどどうしたらい〜い?おねがい」 
なんて相談の仕方をした日には
おそらく
「…で?えー」とか
「私にどうしろと…?えー」と言われそう。

(日本人夫婦って
そんな感じが多くありませんか?)
要は「頼り切るな、互いに善処せよ」
が根底にあるのかと。


だからウチの場合は
テキパキハリキリ妻母親の
ジョーンみたいな方が采配していると
夫は楽ちんで
有り難たがられそうだなぁと。

スカダモア家では
なんだかんだ言っても
子どもたちにとっては
両親の性格の違いで
家族のバランスは保たれているように
思いました。
上手く父親ロドニーが
母娘の諍いをほぐして
視点を変えて導いてくれていそう。


この小説は
12章とエピローグで構成されております。
後半8.9章あたりからエピローグまでが
俄然面白くなります。

ジョーンは
愛する家族の苦悩に寄り添うより
こうあってほしいと思う事だけを
信じてそれが大切だと説いてきた。  
しかしそれが
家族には耐え難いエゴイズムであった
という驚きと共に滔々と内省する場面や
レスリーという女性の造形は
ちょっと感動的でありました。


この先も後半100頁は、
何度も読み直したくなる、
やはり傑作だと思いました。