憲法記念日の運動を都内で行った。有明にて社民党護憲集会に抗議し、東京駅にて憲法を考える街頭演説を行った。
中華覇権興亡の歴史書、司馬遷の史記を読み返している。
天下を取った王や、国を滅ぼした王など
様々な話があり興味深い。
日本語で今も使われる、諺の語源となる話なども多い、左遷や背水の陣、四面楚歌など有名どころだ。
死人に鞭打つなど、伍子胥
の話
楚の平王に親兄弟を殺され伍子胥
呉の国に逃亡し、呉王の右腕となり
やがて呉の兵を以て楚の国を攻め滅ぼしたが
楚の平王が死んでしまった後だったので、平王の墓から死体を取りだし、死体に鞭を打った。
執念にて伍子胥は
親兄弟の仇を取ったわけだ。
この話が死人に鞭打つ語源だ
史記に出てくる殺し方も、なんとも言えないくらいエグい。
痛そうで、苦しそうで中国人には武士の情けという感覚がまるでなさそうだ。
こんな拷問刑どっから思いつくのだろうかいったい?
日本の打ち首は
痛みや苦痛を与えず一刀両断のもと首をはねるのは残酷にも見えるが、
史記を読めば、痛みを感じる前に命を取るそれこそが、日本人的であり武士の情けなんだと感じることができる。
武士の情けだ!一思いにいけ!と
そんな感じだろうか。
また興亡の歴史、亡国の話に共通しているのは
王たるものが、忠臣の諫言を全く聞き入れないことが共通している
青年日本の歌【昭和維新の歌】の始まり部分
汨羅 ( べきら ) の淵に波騒ぎの歌詞
これは憂国の士屈原の話だ
楚王に秦国は絶対に信用してはならんと
何度も諫言し、楚王に疎まれ楚国を追われ、汨羅 江といつ川に身を投げた、忠臣であり諫言の士
屈原の話から、三上卓先生が歌にしたのだ。
また、秦国の暴政に対し挙兵し打倒した
項羽だが、鴻門之会において忠臣である范 増の忠告諫言、劉邦を今撃たねば必ず天下をひっくり返されるという諫言も聞かなかった項羽。
その後、范 増の予言通り劉邦に天下を取られ虚しい最後を遂げた項羽。途中で范 増すら追放した
冒頭の呉国の伍子胥、呉の国が戦国時代に天下に号令する手前まで行けるようになったのは、国を富ませ、兵を強大にした豪腕政治家伍子胥あってのことだ。
他のどの国より越国こそ
呉国の驚異であり、越王勾践を打ち取らなければ
必ず後悔することになるとの度重なる諫言を無視し、国を滅ぼした呉王夫差
忠臣である伍子胥の度重なる諫言が鬱陶しかったのか、伍子胥に自害することを命令している。
漢を立ち上げ天下を取った劉邦も、良く家臣の話を聞いたからこそ、天下を取れたのだ。
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶか。









































