
皆様は庚申塔(こうしんとう)という石塔をご存知でしょうか?
別名、庚申塚(こうしんづか)とも呼ばれ
その昔日本各地で大流行した民間信仰のひとつで、
60日に1回の周期でやってくる
庚申(かのえさる)の日に
「※庚申待(こうしんまち)」という祭事を
18回(約3年間)行った記念碑として
建立(こんりゅう)された石塔の事を指します。
通常は石塔のど真ん中に
「庚申塔」と掘ってあるので
非常にわかりやすい石塔とも言えますね。
《※庚申待とは、庚申の日に神仏を祀って徹夜をする行事、「庚申講」や「庚申会(こうしんえ)」、「お日待ち」等と呼称される)
そんな庚申塔を
130基も集めた【百体庚申塔】と呼ばれる史跡が、
棚田で有名な新潟県十日町市松之山に
【黒倉十文字公園】として
遺されています。
同じ境内(公園と名が付いていますが、神仏を祀っている場所なのでこの記事の中では境内と呼ばせて頂きました)
には、他に三十三観音や馬頭観音も鎮座されています。
明治29年、
近隣各地から庚申塔が寄進(きしん)され
現在の様な姿になったそうです。▼


取材旅で各地を回る折、
道路の傍(かたわ)らに道祖神等と一緒に
庚申塔が建っているのはしばしば目にしますが、
これだけ多くの庚申塔が1箇所に揃えられているのを見たのは初めてでした。
集められた庚申塔の中には
この周辺地域以外から持ち込まれたものもあり、
各地で庚申待が盛んに行われていたことが伺えます。
中が見えづらく正確なお名前や御身分が確認出来ませんでした。

▲大小様々な形の庚申塔がありましたが、
袂(たもと)の苔や落ち葉、
そこに生える植物等によって季節毎にも
見えかたは違うのでしょうね。

▲左の庚申塔に刻まれた「万延元年」の文字。
この「万延(まんえん)」という元号は
江戸時代晩期、安政の次、文久の前の元号になります。(西暦1860〜1861年)
当時、国内の混乱等に危機感を持った孝明天皇の強い意向により
一年足らずで改元された元号ですが、
この「万延元年」こそ60年に1度の周期でやってくる「庚申の年」に当たります。
昔から、庚申の年というのは
人々の心が冷酷になりやすく
不吉な事が起こりやすいと云われており、
「庚申」に紐付いた
「庚申待」の様な儀式が
各地で発展していった事には大いに納得ですね。
そしてその右隣にいらっしゃるのが、
馬頭観音(馬頭観世音菩薩)様。
発祥と云われているインド神話では
文字通り「馬の頭」をした馬頭人身の姿で表されるのに対して、
日本ではその容姿がだいぶ異なり
まるで仁王様の如く
目がつり上がった憤怒(ふんぬ)の形相で
表されています。
これは怒りが強ければ強いほど、
救いの力が強く
又、馬は大食であることから
人々の苦悩や諸悪といった負の要素を全て喰い尽くしてくれるという意味があるそうです。


▲一体だけ離れた場所で佇むお地蔵様。
この場所が開かれた明治29年、
庚申塔等と同じ様にこちらへやって来たのでしょうか?
三十三観音が見えてきます。

双子の杉をぐるりと囲むように
33体の石仏が並べられていました。
ちなみに三十三観音とは、
観音様が衆生(しゅじょう)
つまり「生きとし生けるものの全て」を救済する為に、
33体の俗信(ぞくしん)に姿を変えたという
教えからなるもので、
全国各地に存在します。
※俗信[世間で行われているつまらない信仰]
ここ黒倉十文字公園でも
それぞれ姿の異なる33種類の石仏として祀られていました。
以下が三十三観音の名称となります。
- 楊柳(ようりゅう)
- 龍頭(りゅうず)
- 持経(じきょう)
- 円光(えんこう)
- 遊戯(ゆげ)
- 白衣(びゃくえ)
- 蓮臥(れんが)
- 滝見(たきみ)
- 施薬(せやく)
- 魚籃(ぎょらん)
- 徳王(とくおう)
- 水月(すいげつ)
- 一葉(いちよう)
- 青頚(しょうけい)
- 威徳(いとく)
- 延命(えんめい)
- 衆宝(しゅうほう)
- 岩戸(いわと)
- 能静(のうじょう)
- 阿耨(あのく)
- 阿摩提(あまだい)
- 葉衣(ようえ)
- 瑠璃(るり)
- 多羅尊(たらそん)
- 蛤蜊(こうり、はまぐり)
- 六時(ろくじ)
- 普悲(ふひ)
- 馬郎婦(めろうふ)
- 合掌(がっしょう)
- 一如(いちにょ)
- 不二(ふに)
- 持蓮(じれん)
- 灑水(しゃすい)
こうして書き出してみると
各名称、通常ではあまり耳にしないような
独特の響きですよね。
仏教に興味のある方は
ひとつひとつの名の由縁等、
調べてみるのもまた面白いかもしれません!

常々思いますが、
信仰となる対象物とその周辺には
それを祀ってきた人々の
熱意だったり想いだったり
長きに渡り蓄積されてきた様々なエネルギーが漂っている気がします。
私が幼少の頃から
神社仏閣に度々足を運んでいたのも
そういった空気感に魅了されての事だったのでしょう。
今回も取材旅の途中で思いがけず目についた案内板に、
引き寄せられる様に訪れた
黒倉十文字公園でしたが、
静かな棚田地帯で
頭の休まる一時(ひととき)を戴いたお陰か、
この日は取材が大変上手く進みました。
[所在地] 新潟県十日町市松之山黒倉
金乃助








