那須疎水の美しい旧水門跡 | 柳田 金乃助 絵画活動情報

柳田 金乃助 絵画活動情報

絵画活動について色々と御紹介致します。
取材旅、制作姿勢、過去の作品等々、
不定期で更新予定。

また自身の出展する展覧会情報も随時掲載致しますので
ご興味の湧いた方は是非是非覗いてくださいませ!

どうぞ宜しくお願い致します。





那須疎水(なすそすい)



栃木県北部の那須野が原には
河川から水源の乏しい内地へ水を供給する為に大変重要な役割を担っている那須疎水と呼ばれる水道設備があります。

この度、現役の那須疎水の周辺に
旧疎水遺構が残されていると聞き
急遽訪問することに。



ちなみに【疎水】とは、
飲料・農業用水を供給する用水路のことで
同様の設備が日本全国に存在し

今回の舞台、
那須疎水はその疎水の中でも有名で

猪苗代湖を源流とし
福島県郡山市とその周辺地域を網羅する
安積疎水(あさかそすい)、

琵琶湖を源流とし滋賀県-京都市を幅広くカバーする琵琶湖疎水(びわこそすい)と並び

日本三大疎水の一つに数えられています。



旧那須疎水は明治18年に
重要地域事業として端を発し
その後、大正、昭和と部分的な改築、新取入口等が追加され当時の給水を支えた。

水路という性質上
水門の維持は難儀であったとされているが
工事の質の高さゆえに
そのほとんどが当時の姿を残し


2006年には土木遺産として
重要文化財にも指定。


現在は
水路跡の地形を上手く利用した
那須疎水公園として解放されており
明治期~昭和期の遺構を観ることが出来ます。

この那須疎水公園では
明治38年の取入口が最古の遺構だそうです。

※明治18年の水門は昭和4年に改装




事前調査はしてあったものの
この付近の道路には那須疎水公園の文字看板が結構沢山出ており
全く迷うことなく現地へ到着


小さな駐車場から
坂を下るとすぐに水路跡が目に飛び込んで来ました。

 


公園内に入ると
真横に川が流れており(現在の那須疎水源流)
旧水路跡も含めて
公園をすっぽり囲っているような作りになっている様です。





私の前方、木々に半分侵食されたトンネルが
水門跡ですが

川の対岸にあるため残念ながら
この場所からしか観ることが出来ませんでした。





役目を終え
木々の侵食を受けながらも
水門としての原型を維持し、
ここに在ると思うとやはり凄いですね


この石造りの立派な水門跡を眺めていると


「水路はその土地の人民の命を支える大切なモノ。
どんな事態に見舞われても決して壊れてはならぬ、、、、」


そんな先人達の堅固な思いが
聞こえた気がしました。




そして再び公園の方に足を向け
そのまま水路跡へ


この公園の良いところは
対岸の水門跡以外はこの様に近づくことが出来るという事でしょう。


こういった遺構に
自らの手で触れられるというのは
大きな財産であると私は思います。




水路跡には水は無く
廃城のお堀の様でした。






アーチの壁面にはキラキラと苔がひかり、
その周辺は
沢山の緑で埋め尽くされています。





アーチの反対側には
また別の取入口があり
こちらは比較的馴染みのある形で
手動式の鉄の水門でした。

ハンドルの裏手には
竣工時に?刻まれたと思われる
レリーフが見えます。
(こちらは水門上の斜面にある為、レリーフの内容については詳しく確認をしておりません。)



現存する最古の取入口の水門跡は
やはりオーラが違います。








水門を背にした先には
これまた美しい二重アーチのトンネルが!





今は緑の絨毯と化した水路跡ですが
ここに水が流れている姿もさぞ美しかったことでしょう。






この二重アーチの橋は
公園の入口に当たる場所で
橋の上から水路にいる私をみると
以下の様な位置関係になっています。

突き当たりに見えるのが先ほど紹介した
手動式の取入口水門跡。




こちら(下)は
橋を渡りきって水路跡を見下ろした
横のカット

上から見ると
現役だった時は
その辺の用水路より、
だいぶ水量も多く深い水路であったように思われます。




最後に
一旦この水路跡を出て
反対側の河川敷を歩きまた別の取入口へ






こちらは現在残る最古の水門跡同様
同じ明治38年に作られたと記されていますが
この取入口が一番原始的な感じがしました。


しかし
綺麗にカットされたこの重厚な取入口、
古い洋館の土台の様にも見えました。




以上が
那須疎水公園内に残る
旧疎水遺構でした。



小さな公園ではありますが
そこに残る土木遺産は素晴らしいモノばかり。



今回は那須疎水の源流のみの訪問でしたが
現役の那須疎水はここを起点として
扇状に支流が拡がっており

それぞれの支流には
新旧様々な水路、分水設備があるそうです。

中にはこの遺構達が現役の時から
今尚働き続けている区画も、、、。

興味のある方は
水路を辿ってその先をじっくり探索するのも
面白いと思います。

水というのは人間とは切っても切れないモノですから
那須疎水を追うことで
その先々の土地の細かな生活様式も見えてくるかもしれません。



こうなると
安積疎水や琵琶湖疎水の遺構も
大変興味深いですね


私も
いずれ訪問したいと思います。