田代まさしさんが、出所されてインタビューを受けた事がネット上のあちこちで話題になっていますね。
個人的にはどうでもいいんですが、もし自分が田代まさしの仲間だったら、多分バカな事をしたんであろうがなんだろうが、出所してきたら結局は赦しちゃうよなぁと思ったり。本当に許せないんだったら絶縁なんだろうなぁと。
彼が芸能界で、もしかして再起するのであれば、それはそこに本当に仲間がいたという事なのかもしれないなと、そう思ったりします。まぁ、テレビ業界には魔物が住んでいて飯のタネになるんだったらという思惑の元に復帰するなんてこともあるのかもしれないけれど、そこは私、芸能界の人じゃないので分かりません。
って、前置き長いよ>自分
タイトルに”変なおじさん”って書いちゃったらこういう事になっちゃったのですが、ここからが本題です(笑)
昨日、あるネットの知人が誕生日でした。今日、あるネットの知人が誕生日です。そして、昨日あるネットのパンクジジィに孫が生まれました。(生まれるまではパンク親父でしたけど、すでにジジィです)ふと、思うのだけれどリアル生活で”おめでとう”という機会がいったいどれくらいあるもんかなと。それこそ、家族の誕生日にはそれぞれにおめでとうと伝えてるけれど、それ以外におめでとうっていう機会は案外少ないもんだったりするんですよね。
ネットの上でのつながりなんてのは、それこそうたかたの夢のようなもので、そんなものになんの約束も本当のつながりも、心のふれあいもあると思っているのはたんなる思いこみだけなんだよ、という人もいる。
確かに、ある日突然にネットから姿を消してしまえば、まるでゲームのリセットボタンを押すようにつながりを清算したりすることも出来る。自分からそれをすることも出来る訳だから、当然相手だってある日突然に連絡不可の人になる事だってあり得る。
でもね、それじゃリアル友人だったら本当に心の通った”おめでとう”を、心のつながりやふれあいをもてるのか?っていうと、当然そういう友人もいれば結構そうじゃない友人だっている訳で。ネットって言葉はつながりを意味してると思うけれど、ネット上の友人・知人というのはそれこそ繋がろうという意志の元に繋がっているんだから、こりゃ距離だとか名前だとか顔を知ってるだとかを抜きにしてもそこには強いものがあるなぁなんてふと思う訳です。
実は昨日誕生日だったネット友は、一度音信不通になりまして、再度ネットの片隅で再び巡り会ったという希有な人だったりするんですよね。そこは繋がりたいという”私の意志”と、まぁ繋がってやってもいいよという彼の意志が合致した訳で。(本当は、単に私がストーカー的に見つけただけなのかもしれないんですけどねw)
あちこちにおめでとうの言葉を贈りながら、そんな事を考えていました。
パンクジジィになった元パンク親父さんなんか、知り合って間もないんだけれども、孫が無事生まれたと聞いて、本当に嬉しかったモノなぁ。さっさと写真をアップしやがれくらいの勢いだったりするけど(笑)ひそかに孫をだっこしたりしてる姿を想像すると羨ましくてしょうがない訳です(爆)
なんかね、勝手な私的イメージではあるんでこういう好意は押しつけがましい訳だけれど、ちょっと兄のようなそんな勝手なイメージなんですよね。って事で、私的には生まれてきたお孫さんが、なんていうか姪のように嬉しかった訳です。まぁ、おじさんになった気分な訳ですね。(やっとタイトルの部分に繋がったw)
あぁ、なんか書いててちょっと恥ずかしいですね。これ(笑)っていうか、ちょっと痛い奴っぽくなってきたかもしれない(汗)
でもね、そういう嬉しい事があったんだと、うたかたの夢の中にも、そういうリアルな感情のヨロコビがあるんだと大声で言いたかった訳です。
おそまつ。
個人的にはどうでもいいんですが、もし自分が田代まさしの仲間だったら、多分バカな事をしたんであろうがなんだろうが、出所してきたら結局は赦しちゃうよなぁと思ったり。本当に許せないんだったら絶縁なんだろうなぁと。
彼が芸能界で、もしかして再起するのであれば、それはそこに本当に仲間がいたという事なのかもしれないなと、そう思ったりします。まぁ、テレビ業界には魔物が住んでいて飯のタネになるんだったらという思惑の元に復帰するなんてこともあるのかもしれないけれど、そこは私、芸能界の人じゃないので分かりません。
って、前置き長いよ>自分
タイトルに”変なおじさん”って書いちゃったらこういう事になっちゃったのですが、ここからが本題です(笑)
昨日、あるネットの知人が誕生日でした。今日、あるネットの知人が誕生日です。そして、昨日あるネットのパンクジジィに孫が生まれました。(生まれるまではパンク親父でしたけど、すでにジジィです)ふと、思うのだけれどリアル生活で”おめでとう”という機会がいったいどれくらいあるもんかなと。それこそ、家族の誕生日にはそれぞれにおめでとうと伝えてるけれど、それ以外におめでとうっていう機会は案外少ないもんだったりするんですよね。
ネットの上でのつながりなんてのは、それこそうたかたの夢のようなもので、そんなものになんの約束も本当のつながりも、心のふれあいもあると思っているのはたんなる思いこみだけなんだよ、という人もいる。
確かに、ある日突然にネットから姿を消してしまえば、まるでゲームのリセットボタンを押すようにつながりを清算したりすることも出来る。自分からそれをすることも出来る訳だから、当然相手だってある日突然に連絡不可の人になる事だってあり得る。
でもね、それじゃリアル友人だったら本当に心の通った”おめでとう”を、心のつながりやふれあいをもてるのか?っていうと、当然そういう友人もいれば結構そうじゃない友人だっている訳で。ネットって言葉はつながりを意味してると思うけれど、ネット上の友人・知人というのはそれこそ繋がろうという意志の元に繋がっているんだから、こりゃ距離だとか名前だとか顔を知ってるだとかを抜きにしてもそこには強いものがあるなぁなんてふと思う訳です。
実は昨日誕生日だったネット友は、一度音信不通になりまして、再度ネットの片隅で再び巡り会ったという希有な人だったりするんですよね。そこは繋がりたいという”私の意志”と、まぁ繋がってやってもいいよという彼の意志が合致した訳で。(本当は、単に私がストーカー的に見つけただけなのかもしれないんですけどねw)
あちこちにおめでとうの言葉を贈りながら、そんな事を考えていました。
パンクジジィになった元パンク親父さんなんか、知り合って間もないんだけれども、孫が無事生まれたと聞いて、本当に嬉しかったモノなぁ。さっさと写真をアップしやがれくらいの勢いだったりするけど(笑)ひそかに孫をだっこしたりしてる姿を想像すると羨ましくてしょうがない訳です(爆)
なんかね、勝手な私的イメージではあるんでこういう好意は押しつけがましい訳だけれど、ちょっと兄のようなそんな勝手なイメージなんですよね。って事で、私的には生まれてきたお孫さんが、なんていうか姪のように嬉しかった訳です。まぁ、おじさんになった気分な訳ですね。(やっとタイトルの部分に繋がったw)
あぁ、なんか書いててちょっと恥ずかしいですね。これ(笑)っていうか、ちょっと痛い奴っぽくなってきたかもしれない(汗)
でもね、そういう嬉しい事があったんだと、うたかたの夢の中にも、そういうリアルな感情のヨロコビがあるんだと大声で言いたかった訳です。
おそまつ。