いろんな人と巡り会って、話したり、あるいは文章でやりとりしたりというコミュニケーションを得て、自分が少しずつ変化していくのが解る。
自分にとって好ましいモノ、それは感情や知識や考え方やその他もろもろと出会うと、それが自分の感情や知識や考え方の中に混じっていく。そして、自分が少しずつ書き換わっていく。そういう繰り返しを経て現在の自分になっているんだと思う訳です。似たような好ましい何かを感じると(共鳴すると言えばいいのかな)、自分の中の同じような部分への信頼感が高まっていくような感じを受ける。
そう思うと、本当のもともとまったく無垢な自分というものがあるのかどうかというのが、不安という事もないのだけれど、ふとどれくらいのものなんだろうか?と考えさせられる。
タイトルのように、たくさんの人からたくさんのモノを得て、私の中に多重露光された総体としての”私”はすでに元の素の状態の印画紙の事を思い出すことも出来ないけれど、どこかにひっそりと隠れているのかなと。
結局は重ね塗られた結果自身が”私”でしかないという事も解ってはいるのだけれどもね。