地震によりお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の方の早期の発見、被災者の方の1日も早い復興を願ってやみません。
----------
私は小学校の5年生と6年生の2年間を、とある学校の寮で過ごした。小学生もいれば中学生もいる、一部高校生もいたりという混成の寮だ。
一般的にはそういう子供の時期に寮生活というのは寂しいだろうとかいろいろ言われる事もあるけれど、私個人に限って言えば全然平気だった。かなり、のびのびした寮生活を送った記憶があるのと、ホームシックなどとは無縁な生活だったと思う。
昭和の50年代の話であり、テレビではピンクレディが活躍し王貞治が756号のホームランを打っていた頃だと思う。まだインベーダーゲームのブームは来ていなくて、水谷豊が学校の先生役で人気があった。
寮生活というのは、思いの外娯楽の少ないものであり、寮の自治会が主催してのイベントというものが年に何回か行われる。まぁクリスマスだとか盆踊りだとか、そういう季節にちなんだイベントをやってみたりと、退屈で単調になりがちな寮生活にささやかな彩りを添えようというものだ。
そういうイベントの中に、年に一度のラジオ放送というのがあった。
オーディオマニア系のOBが機材を持ち込んで、ミニFM局を開設する。4時間程度の生放送を日曜の午後に行っていた。
(ミニFM局というのは、免許の申請がいらない微弱電波を使用したFM局で、基本的には電波法などの法律に抵触しない。機材や設備にもよるが、半径50mとか100mほどの距離で受信できる程度の放送局だ。)
カセットデッキ、オープンリール、レコードプレーヤー、ワイヤレスマイク数本と、スタンドマイク、ラジオ数台、FMトランスミッターを組み合わせた機材を持ち込み放送してくれた。
用意したレコードやカセットから、歌謡曲やロックなどの音楽を流し、途中にMCを入れながら素人のマラソン放送が行われる。寮生の中から数人がレポーター役を買って出て、ワイヤレスマイクを持ってあちこちの部屋へ突撃し、リクエストで曲を受けたりする。
今から思えば、リクエストに全部応えられた訳じゃないけれど、それでもどれだけレコードやテープを持ち込んでいたのやらと思う。
途中に、寮生の中でちょっとギターなんかが弾ける高校生などがミニ生ライブをやったりとアイディアてんこ盛りの放送だった。
寮生は自分の部屋(ちなみに6人部屋だった)でほかの部屋への突撃レポートなどを聞きながらゲラゲラ笑い、今度は自分の部屋かとドキドキしながらラジオに耳を傾けたものだった。
日曜の昼下がりに、台所でラジオを聞きながら、ふとそんな事を思い出していた。