嗚呼、勤務医人生 -3ページ目

嗚呼、勤務医人生

開業しようかどうか迷い続ける終身開業準備医師のブログ

大晦日にオウム真理教信者で特別手配中の平田信容疑者が自首してきて

逮捕されたとのニュースが元旦早々にあった。


顔を見たら、髪が伸びているだけで特別手配のポスター写真のままだった。


ということは、逃走を手助けしていた人がいたということだ。


オウムで思い出すのは、アストラル病院。(正確にはアストラル診療所)


20年前の話なので知っている人は数少ないだろう。


知人(医者)にオウム信者がいたので、オウムのことは良く聞いていた。


とにかく金集めの方法がひどかった。


数々のイニシエーションで人を集めて、ひとり10万円~100万円もの

金を巻き上げていた。


イニシエーションとは、位(ランク)を上げる儀式みたいなもので、全国から

解脱を志す人が集まっていた。


やってることは、麻原のションベンを飲まされたりすることだった。


そのことを聞いただけで、ペテン集団であることは明らかだったのだが、

彼は真剣だった。


彼は医者なので、オウムでの仕事は、附属施設であるアストラル病院で

勤務医として働くことだった。


しかし、月給が1万円であったことと、入院患者があまりにも少なくて

患者の取り合いになって、まったく勉強にならなかったことから、

すぐにいやになってしまい、1年くらいでやめたらしい。


アストラル病院そのものも長く続かず、まもなく廃院されたようだ。


彼はその後、一般病院に転職したのだが、履歴書にはちゃんとアストラル

病院に勤めていたことを書いたのか甚だ疑問である。

むかし医師の転職は今のように自由ではなかった。


大学医局が幅を利かせていたので、ほとんどの病院の勤務医枠(Sitz ジッツ:

関連病院におけるポスト)は大学からの派遣というかたちで埋められていた。


大学派遣でない病院は、民医連(共産党系)か徳州会グループくらいであった。


それとは別にむかしジャミックジャーナルと日本医事新報という医師向けの

雑誌・新聞があって、「医師招聘」という独特の求人広告が載っていた。

たいがいは生命保険会社の社医(専属医)であった。


仕事がハードすぎてつらいときには、よく冗談で「生保の社医になろうかなぁ」

と言っていたものである。


というか、同僚で実際に生保社医になった者がいる。

今ではまったく音信不通だが・・・。ちゃんと生きているかな。


こういう者はこの業界では、ドロップアウト医師(通称ドロッポ)というレッテル

を貼られ、肩身の狭い思いをしなくてはならなかった。


いっぽう平成16年に新医師臨床研修制度が始まり、大学医局は関連病院に

潤沢に医師を派遣することが困難になった。


各地の病院は医師不足に見舞われ、なりふり構わず医師獲得に動き出した。

それに歩調をあわせて医師転職仲介業者が乱立してきた。


いったい何社くらいの仲介業者があるのだろう。

成功報酬は医師年収の20%らしいから、気合が入ることは間違いない。


開業のモチベーションが低迷している私も、数社の仲介業者と時々コンタクト

をとりながら、虎視眈々と転職のチャンスを狙っている。

今年の年末年始も29日~2日まで5日連続で当直バイトである。

年末相場は当直料が高くなるのでちょっとうれしい。


さて、医者のイメージといえば、おそらく『外車に乗っている金持ち』であろう。


たしかに外車の所有者は多く、特に開業医はその傾向がある。


開業すると年収は2倍になる。と40年以上前に開業した大先輩が言っていた。

たしかに統計を見ると開業医年収は勤務医年収の2倍になっている。

この傾向は、昔も今も変わらないようだ。


ただ、今は昔のように比較的簡単に開業できる状況ではなくなってきた。

つまり、2倍の年収をあげるにはかなり営業努力をしているようなのだ。


ここだけの話、営業努力とは・・・


①日曜日も外来をしている。

②本来ならば不要な検査をする。

③本来ならば不要な薬を出す。

④3分診療で指導もしてないのにしっかり特定疾患療養指導料を徴収する。

⑤ニンニク注射など保険適用外のことをする。

⑥見えないところで経費削減している。

 (例えば、検尿テープを半分に切断して2回使用する。

 インフルエンザワクチン3バイアル(6人分)を7人で使用するなど)


ここまでは、お客さんあっての話。


思うように患者さんが来ない場合は、

なんと週末や盆・正月に当直バイトをしている。


なんかちょっとカッコ悪い。

そんなにしてまで外車に乗らなくても良いのでは?


ちなみに私は・・・160万円の大衆国産車です・・・。

少し前は、軽自動車でした。はぁ~。