渡鹿野島遊び2016

渡鹿野島遊び2016

2016年夏、渡鹿野島で女遊び(泊まり)をした際の記録。

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 私が実際に渡鹿野島を訪れた感想として、島の夜遊び(女遊び)が確実に衰退していることはもはや否定できなかった。海ぞいにあるファミリー向けの大きな旅館「福寿荘」を中心に、島全体が健全な観光地のイメージに向かっていこうとしている雰囲気が、ひしひしと感じられた。

 

 私が夜に島の散歩に出たときにも、夜遊び目当てで来たような男性とは一人もすれ違わず、唯一、島のメインストリートですれ違ったのは、「福寿荘」に泊まっていると思われる浴衣姿のカップルだけであった。

 

 そんな状況の中、私がエリーのような女性と一夜を楽しく過ごせたのは、やはり運が良かった、と言わざるをえない。本来なら、私の部屋にはもっと年齢の高い娼婦(四、五十代?)が顔見せに来るはずだったが、旅館の若女将(私を玄関で出むかえてくれた娘さん)が、

「東京から若い男性がせっかく一人で見えたのだから、なるべく若い女の子を引き合わせてあげた方が…」

 という一言を、じつは裏で添えてくれていたそうで、それでエリーが優先的に私の部屋に来ることになったそうだ。(あとで、エリーとの会話で聞いたことである)

 そんな周囲のあたたかい配慮もあって、私は渡鹿野での一夜を楽しめたわけで、もしタイミングが悪ければ、完全に真逆の感想を抱いて島を後にしていただろう。

 

 二〇一六年の七月の時点ではもう、島の売春業は無くなる一歩手前、「風前の灯」だったと言わざるをえない。島が確実に健全な観光地のイメージにむけて歩み出している中で、「売春」という不健全なイメージは排除されるべきものなのだろう。島の売春の歴史の、最後の灯の中、私は奇跡的に夜遊びを楽しませてもらった、という印象がある。

 

 これを読んだ人でもし渡鹿野島に興味をもつ方がいたら、ぜひ一度足を運んでみてほしいが、観光は良いとして、夜遊びの部分に関しては正直、保証はできない。

「夜を楽しめるかどうかは、運次第…」

 としか言えないところが、実際に訪れた私としては、なんとも歯がゆいところである。


  渡鹿野きんも

(やはりエリーは、俺が本当の電話番号を言っているのか、不安だったのだろう)

 と私は思った。私が電話をかけ直すと、

「もしもしー?旅館帰ったかー?」

 と、彼女の元気な声が聴こえてきた。


 

「うん、帰った。いま、風呂入ってた」

「風呂入ったかー。ご飯食べた?」

「いまから、食べる」

「そうか…。ご飯いっぱい食べて帰ってな。また会いたいなぁ…」

「うん、会いたい」

「ホントか?」

 彼女は冗談っぽく詰問した。私が「本当」とこたえると、電話のむこうで笑い声をたてていた。

「バイバイ」

「うん、バイバイ」

 電話をきった。

 

 朝食の時刻が迫っているため、私は階下へおりていった。明太子や生卵、冷奴で白飯を多めに食べた。相変らず、一人で食べる旅館の飯は旨い。

 そして二階の部屋にもどり、出発の仕度。渡鹿野島対岸のバス停からのバスの本数は少なく、今からだと九時四十九分の鵜方駅前行きしかない。だからそれまでに、ゆっくり仕度を済ませればいいわけであった。

 

 私は部屋の窓を開けた。昨夜と変わらず、もう使われていない建物が並んだ風景である。朝から蝉の声が喧しい。

(今日も暑くなりそうだ)

 私は出発の仕度をはじめた。鞄の中の整理をしながらも、私の耳に残るのは、

「お風呂入ったー?ご飯食べたー?」

 と母親のように気づかうエリーの先程の電話の声であった。


(優しい、女だった…)

 その声は、まもなく島を離れる私に、旅立ちの感傷を味わせた。私は彼女から、四万という金額では買えない何かを貰った気がして、やけに幸せだった。


 

   「渡鹿野島遊び2016」 

 ビルから旅館へもどる道は、すぐに分かった。夜には何とも得体の知れぬ細い道、という印象があったが、朝日が昇ってしまえば、あくまでも爽やかな田舎の島の風景である。昨夜の散歩のとき、私がおそるおそるのぞいた廃墟スナックにも、今は朝日が照らされ、朽ち果てた古い扉が露呈されている。


 旅館にもどると、お女将が私をむかえ、

「おかえりなさい。朝ごはんは八時に出来ますのでね、八時になったら階下に来てくださいねー」

 と言った。私は、昨夜女と遊んできたことによる倦怠感がなるべく匂わぬよう、出来るだけ爽やかに、それに返答した。

 

 部屋にもどって、八時に間に合うよう急いで入浴をする。まだ体に残っているエリーの体の匂いや部屋の匂いを洗い落としてしまうのは少し勿体ない気がしたが、夜中に彼女につけられた大きなキスマークが胸元にひとつ残っているので、それで良しとしよう…。

 

 風呂から出て金庫からスマホを出すと、さっきエリーがかけた着信が一件と、再びもう一件、エリーからのものがあり、

「もしもし?旅館帰ったー?」

 と留守電が入っている。

 

 ひと晩じゅう一緒に居ると気にならなくなるが、こうして音声だけ聴くと、やはりイントネーションがおかしいところがある。そのことは私を、優しい気持ちにさせた。



 そのあとベッドにもどり、私は一時間弱ほど眠った。一睡もせずに三回も交わったので、さすがに疲れ果てていた。

 

 目を覚ますと、エリーが私を抱きしめてきて、

「もうすぐ、旅館行くよ」

 と言った。

「はなれたくない…」

 私は子供のように、彼女の胸元で甘えた。

 エリーは私の髪を撫でながら、

「かわいいなァ…。また、会いたいなァ…」

「うん、会いたい」

「寒くなったら、また来るか?」

「うん、来る」

「ホントか?」

「うん、本当」

 

 いかんせん東京と三重は遠い。私は二度と、この島に来ることはないだろう。「寒くなったら」とエリーは今年の秋か冬のことを言っているのだろうが、そんなに早く私が渡鹿野を再訪することは、まずない。果たせぬ約束を口にする私は、妙に切なかった。


 寝間着を脱いで、もとの服に着がえた私に、エリーは「みそ煮込うどん」と書かれた小さな箱を見せ、

「東京帰って、作って食べて。これ、うどん。おいしいよー」

 と言って渡した。彼女がふいに見せた優しさに、私はやけに感動してしまい、目頭が熱くなった。でも部屋の中が暗いため、彼女はそんな私には気づかず、


「七月十四…。今日か…。東京帰って、すぐ作って食べれば大丈夫かな」

 と、しきりに賞味期限を気にしていた。エリーは、スーパーによくあるような透明の小さなビニールにその箱を包んでいて、(なんだかお母さんみたいだ)と私は彼女を可愛く思った。

「ありがとう」

 私は心から素直に、そう言っていた。会ってから半日も経っていない女性に対し、ここまで素直になれている自分が、なんだか不思議だった。


「番号教えてー」

 とエリーに言われ、私は電話番号を伝えた。しかし、昨夜は急いで旅館を出てきたものだから、スマホを部屋の金庫の中に入れたままであった。エリーが番号にかけても、着信は鳴らない。

「電話、旅館に置いてきた」

 と私は彼女に説明した。彼女はちょっと不安そうな顔をしていた。

 

 エリーは私の唇と頬に口づけし、階段の踊り場まで私を見送った。

「バイバイ」

 お互い手を振って別れた。

 私は、昨夜エリーと一緒に上った廃墟ビルの階段を、不安だらけだった昨夜の心情とは全くちがった満足感に浸りながら、ゆっくりと下りていった。


 

 

 軽くシャワーを浴びたあと、エリーが、

「寝るか?」

 と私にたずね、電気を消した。

 

 初めてやって来た島で、しかも初めて出会った女性の部屋なので、私はなかなか寝つけずにいた。日中、電車に乗っていただけだったから、とくに疲れがなかったせいもある。


「アナタ寝れないな。かわいそう」

 とエリーは言い、私と片手をつないだまま、ずっと朝方まで一緒に起きていてくれた。そのあいだ、電気をつけ直して二人でテレビを見たり、再び部屋を暗くして寝入ろうと試すものの出来ず、仕方なく暗闇の中でじゃれ合ったりしていた。

 その流れのまま、五時半ころ、エリーとまた交わった。頭が朦朧とし理性も薄れてくる時間帯で、もう互いに醜い部分を曝け出しても気にならないような、解放的な交わりだった。すでに朝陽が昇っている時刻だが、部屋は黒いカーテンで遮光されているため、真っ暗だった。私はふたたび、彼女の体の中で出してしまった。

 

 また二人で、風呂場に行く。今夜、エリーと私はこれを何度繰りかえしただろう。エリーが私の体を洗い流してくれ、私は先に風呂場の外に出た。彼女は浴槽に座って自らの股間を丹念に洗いながら、私へ向かって、


「いま雨降ってる?ドア開けて、見てみて」

 と言った。

 

 私が玄関のドアを少し開けてみると、廃墟ビルの廊下に明るい朝の日が差しこんでいる。昨日と今日の三重県の予報は雨だったはずだが…。梅雨時期であるのに、私が島に上陸してからはずっと晴れている。

 そのうえ、エリーというやけに肌の合う女性と出会えたことを考えれば、この一泊二日の旅はやけにツイていたと言えるだろう…。


「晴れてる」

 開け放たれている風呂場の中へ私が言うと、

「雨降ってないかー。降ってる、と思ったけどなぁ…」

 とエリーは少女のように首をかしげていた。



「一晩かぎりの男と女」 了