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徘徊太郎日記

ひとりで15以上の楽器を操り、練り歩きながら弾き唄うランブリンワンマンバンドの裏ブログ。

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今朝、ヤフーニュースを見て魂消てしまった。

ゆらゆら帝国のベーシストだった亀川千代が鬼籍に入ったとのこと。

90年代からミレニアム頃にかけて、日本のロックバンドでは唯一くらいよく聞いた。


その中で技術的に際立っていながらミステリアスで突き抜けた存在感を放っていたのが氏。このクソつまらない世の中におとぎ話をずっと届けてくれた。


おれより2つ上、というか同年代だったのも驚きだったし、ダンエレクトロのロングホーンを使ってたり、プロレス好きだったとか勝手にシンパシーを感じていた。

一番はヤフーニュースにもなったことでわかるようにおれみたいに感じている方が日本中に何千、何万人もいたということ。


あ〜、なんかいいことないかよぅ、政治も人の暮らしも救いのない国に胸のすくこと何かないかよぅ。
















お隣の浪江町にある請戸漁港にマッコウクジラが迷い込んだと聞き、野次馬的に行ってきた。

昨日のニュースでは狭い漁港内を元気に泳いでいて、間近にその姿が見れればと期待したけど、今日の午前に行ってみたらすでにこと切れていて堤防のそばに漂っていた。



体長10メートルほどらしいけど見えてるのはごく一部でどういう体勢になっているのかもわからなかった。

本来ならば大海で自由に過ごしているものをこんな人が造った函の中で最期を迎えるとは本意ではないだろう。


最近地震が多いので関係を指摘する人もいるが、それもなんとも言えない。



あんまり関係ないけどこの唄を思い出した。








本屋でブルース&ソウルレコーズを立ち読みしていたら、最後のページくらいに小出斉さんの訃報が載っていた。


最近、ライブとか現場からすっかり遠ざかっていたもので、知る由もなく魂消てしまった。


お世話になっているブルースクルーザーのmickyさんと東北ツアーを回られていたし、かつてはなまず亭や郡山など何度も演奏を見て勉強させてもらった。先日もクダラナ庄助祭りでお会いしたばかりだった。


何より、プレイヤーであり研究者として本も出版され、日本のブルース普及の第一人者であられた。かと言って気難しい感じは微塵も無く、おれみたいな者にも気軽に声をかけてくれる気さくな方でした。


もう1と月も前に鬼籍に入られていたとは……。

 ご冥福をお祈りします。



ギターを断捨離して本数はかなり少なくなった。これからのライブの予定もないもんで今はハモニカ方面を強化している。



と言ってもおれの場合はホルダーに付けたハモニカを吹くので参考になる手本は限られる。


そもそもハモニカは手で持ったハモニカを動かして音程をとる。一方ハモニカホルダーの場合はハモニカ固定で首を動かして演奏するので邪道というか、普通のハモニカ演奏とは概念を変える必要があるみたい。


基本はブルースなので最も参考にしてるのはジミー・リード。ただし、この人は映像が極端に少ない。ずっと探してるけど3つくらいしか見つけられていない。

あとはジョンハモンドとその影響下にあるG love。



しかし、我が国にも猛者がいた。この人。

ゴイスー。




ある人のインタビューがふと目につき、読むともなく読んでみた。で、人前でパフォーマンスをするときの自分のスタンスについて考えた。


おれの場合、自分のためにしか演奏はしていない。自分のストレス発散、もっと大げさに言うと魂の解放のため。オーディエンスがどう感じようが基本的には気にしていない。なので選曲も自分のやりたい曲にしている。

ただ1点、確かめたいことがあり、ずっと人前での演奏を続けている。それは「演者が100%自分の演奏を楽しむ=曲のジャンルや選曲は関係なしにオーディエンスも楽しむ」という事柄。


これを一生かけて実験しているワケだが、概ね真実ではないか?というところまで来ていると思う。


自分が心から楽しんだ時はそのまま反応が返ってくる一方、極端にオーディエンスの反応が悪いときは決まってミスに敏感になっていたり、場の空気にのまれたりで自分が楽しむことを忘れている。


大層なおギャラをいただくような身分にならない限り、今後も自分のスタンスは変わらないと思う。


というようなことを

この方のインタビュー

 を読んで思ったんだけど、この人の音楽はほとんど聞いたことがないんだよなぁ。


写真は関係ないけど能登で売ってたスナック。初めて見た。





能登二日目の夜。

地元の大型スーパーに行き、その土地ならではの惣菜を探索。

えびす寒天というのを見つけた。甘じょっぱい出汁を寒天で固めたもの。中に入っているのは魚卵?と思ったがかき玉だった。98円。地酒にあう。

写真にはないけど、鳥モツの焼き鳥も。

ビジネス宿でのひとり晩酌。




訳あって能登に向かっている。

北陸新幹線で向う途中、糸魚川に停車した。大宮から金沢方面に向かうのになぜ糸魚川駅があるのか?

改めて路線を確認すると長野から新潟県をかすめて北陸方面に向かうようになっていて納得。

駅に張り付くように佇む家並みと続いて迫りくる日本海。低く垂れ込める雨雲。

このあたりは何年か前に大火に見舞われたのではなかったか?

東日本大震災後、糸魚川出身の方に大変
にお世話になった。今はどうしておられるのか?

なんだかなぁ、年末からどうにも金欠気味。


生活が少し変わったこともあり、車を変えたりしたし、我が家には縁遠い存在であったテレビゲーム的なものも導入したりしたからか。


今はもう人手に渡った車

加えて、すべてを無にするというか、そこまではいかなくても身の回りをシンプルにしたいという気持ち+脱金欠の目的もあり、ギターを一気に売ることにした、というか売ってる。


例のボさん も陳列中だ。何がエラそうに達観だという話かもしれない。


興味ある方は是非お購入(メルカリ)またはお入札(ヤフオク)お願いします。


それにしてもライブの機会はない。ま、楽器もなくなるし丁度いいか。

新年が明けて立て続けに2つの演奏の機会があった。


ひとつは近所の基督教会の家族礼拝。音楽好きの牧師に声をかけていただいた。

おれのワンマンバンドパフォーマンス数曲と「こげよマイケル」を生ギターで伴奏し参加者みんなで歌った。

正月の震災で被害を受けた能登に思いを寄せながら祈りを捧げたり、信心があるほうでは決してないけど、自分の偽善魂が満たされた気がする。



もうひとつは昨年まで所属していた団体関連の新年会でのパフォーマンス。

主催の方々には大変お世話になったので若干の迷いはありつつも敢えてやらせてもらうことにした。

オーディエンスは100人以上いたかと思うけど、あまり気にせず好きにやらせてもらった。

それがかえってよかったのか「新年になってやっと前向きになれた」などの感想も。


今までは、仕事関連、地元での演奏などは極力避けてきた。要は普段の自分の姿を知っている方々には自分のパフォーマンスはひた隠しにしてきた。

今回、ある意味その壁を乗り越えカミングアウトした形。今年はやる意味のあること、何かに貢献できることなどはスケジュールが合えば(社畜状態にはコレが結構大変)応えていきたい。


演奏の写真はないので最近よく食ってる南相馬市の家族経営でやってるスーパーの贅沢のり弁、420円を。毎食コレでもいいくらい気にいってマス。