学生のころサザン・ロックにはまり、ディッキーのギター、曲、唄に夢中になった。デュアン・オールマンより断然ディッキーベッツ派だった。
なんだかなぁ、最近こんなんばっかだ。
https://amass.jp/174580/
90年代からミレニアム頃にかけて、日本のロックバンドでは唯一くらいよく聞いた。
その中で技術的に際立っていながらミステリアスで突き抜けた存在感を放っていたのが氏。このクソつまらない世の中におとぎ話をずっと届けてくれた。
一番はヤフーニュースにもなったことでわかるようにおれみたいに感じている方が日本中に何千、何万人もいたということ。
あ〜、なんかいいことないかよぅ、政治も人の暮らしも救いのない国に胸のすくこと何かないかよぅ。
本屋でブルース&ソウルレコーズを立ち読みしていたら、最後のページくらいに小出斉さんの訃報が載っていた。
最近、ライブとか現場からすっかり遠ざかっていたもので、知る由もなく魂消てしまった。
お世話になっているブルースクルーザーのmickyさんと東北ツアーを回られていたし、かつてはなまず亭や郡山など何度も演奏を見て勉強させてもらった。先日もクダラナ庄助祭りでお会いしたばかりだった。
何より、プレイヤーであり研究者として本も出版され、日本のブルース普及の第一人者であられた。かと言って気難しい感じは微塵も無く、おれみたいな者にも気軽に声をかけてくれる気さくな方でした。
もう1と月も前に鬼籍に入られていたとは……。
ご冥福をお祈りします。
ギターを断捨離して本数はかなり少なくなった。これからのライブの予定もないもんで今はハモニカ方面を強化している。
と言ってもおれの場合はホルダーに付けたハモニカを吹くので参考になる手本は限られる。
そもそもハモニカは手で持ったハモニカを動かして音程をとる。一方ハモニカホルダーの場合はハモニカ固定で首を動かして演奏するので邪道というか、普通のハモニカ演奏とは概念を変える必要があるみたい。
基本はブルースなので最も参考にしてるのはジミー・リード。ただし、この人は映像が極端に少ない。ずっと探してるけど3つくらいしか見つけられていない。
ある人のインタビューがふと目につき、読むともなく読んでみた。で、人前でパフォーマンスをするときの自分のスタンスについて考えた。
ただ1点、確かめたいことがあり、ずっと人前での演奏を続けている。それは「演者が100%自分の演奏を楽しむ=曲のジャンルや選曲は関係なしにオーディエンスも楽しむ」という事柄。
これを一生かけて実験しているワケだが、概ね真実ではないか?というところまで来ていると思う。
自分が心から楽しんだ時はそのまま反応が返ってくる一方、極端にオーディエンスの反応が悪いときは決まってミスに敏感になっていたり、場の空気にのまれたりで自分が楽しむことを忘れている。
大層なおギャラをいただくような身分にならない限り、今後も自分のスタンスは変わらないと思う。
というようなことを
この方のインタビュー
を読んで思ったんだけど、この人の音楽はほとんど聞いたことがないんだよなぁ。
新年が明けて立て続けに2つの演奏の機会があった。
ひとつは近所の基督教会の家族礼拝。音楽好きの牧師に声をかけていただいた。
おれのワンマンバンドパフォーマンス数曲と「こげよマイケル」を生ギターで伴奏し参加者みんなで歌った。
正月の震災で被害を受けた能登に思いを寄せながら祈りを捧げたり、信心があるほうでは決してないけど、自分の偽善魂が満たされた気がする。
もうひとつは昨年まで所属していた団体関連の新年会でのパフォーマンス。
主催の方々には大変お世話になったので若干の迷いはありつつも敢えてやらせてもらうことにした。
オーディエンスは100人以上いたかと思うけど、あまり気にせず好きにやらせてもらった。
それがかえってよかったのか「新年になってやっと前向きになれた」などの感想も。今回、ある意味その壁を乗り越えカミングアウトした形。今年はやる意味のあること、何かに貢献できることなどはスケジュールが合えば(社畜状態にはコレが結構大変)応えていきたい。
演奏の写真はないので最近よく食ってる南相馬市の家族経営でやってるスーパーの贅沢のり弁、420円を。毎食コレでもいいくらい気にいってマス。