2023年06月 研究記事27
エホバを畏れることが大切なのはどうしてか
1節
エホバと親しい友になりたいと思うなら、エホバを「畏れる」必要があります。
もう本当に毎回毎回神推しがすごくて面倒だなと思われた皆さん、こんにちは
3節
エホバを畏れるとは、エホバが悲しむようなことを行うのを怖いと感じることです。
もうさこういうとこなんですよ。
神さまが存在するかどうか私は知りませんけど、存在したとして目に見えない訳じゃないですか。目に見えない、存在を感じることもできない、声を聞く事もできない存在の悲しむことをしたら怖いなんて最早病気の域ですよ。
そんな事を気にして人生を生きなければならないなんて本末転倒です。
もちろんね、神の存在を信じていて恭しい気持ち、厳かで畏れ多い気持ちを持つことが張り合いとなることは否定しません。
でもその次元を超えてまで畏れなければならないことを教える宗教など世の中にあってはならない有害なものなんです!
4節
サタンは人々にエホバへの正しくない恐れを持たせようとしています。「エホバはすぐに怒る神で、私たちに罰を与えようとしている。人間がエホバを喜ばせることなんてできない」と思わせようとしています。
サタンじゃなくて、森のおっさんもしくは組織の間違いじゃないですか。
まだ足りない、まだ足りない。神を悲しませるなって言っている時点で正しくない恐れどころか病的で狂気じみた感情を神に持たせてますよね。
それをサタンのせいにするのもサタンもいい迷惑と思いますZE
7節
よく祈ることによっても、エホバへの畏れの気持ちを強めることができます。祈れば祈るほど、エホバが身近な存在になります。試練に立ち向かうための力を求めて祈る時、エホバがどれほど強い方かを思い出せます。
でもつい先日のものみの塔でこんな記事がありましたよね。↓
経験①
例えばフィリップ兄弟は、「祈りの内容をもっと良いものにし、回数も増やしたいと思っていました。でも、なかなか時間を取ることができませんでした。
強められないんですよ。
試練に立ち向かうと言っても迫害下にいる訳でなし、セルフ昇天をとどめさせてくださいとか祈るんですか?んなの試練でも何でもないただの自然の欲求を目標やら、畏れやら壮大にして祈りの回数増やしたとて虚しくなるだけじゃないですか。
そんな自然の欲求程度を止めたとして神が強い方かを知れるんですか?
強いの定義が意味不明ですよね!
11節
現在、多くの兄弟姉妹はエホバの証人の活動が禁止されている地域で暮らしています。兄弟姉妹は当局にふさわしい敬意を払っていますが、オバデヤのようにエホバに全くの専心を示しています。
エホバを畏れているの で、人間ではなくエホバに従っています。
人間じゃなくて、その国の法律に従えよ。
ていうかですね、そんなに全能で強い方なのであれば禁令下にか弱き人間遣わさずに神自身で伝えたら良いと思うし、オバデヤと時代も背景も何ならその宗教とエホバの証人なんて全く違うでしょうよ。同じ神かどうかも怪しいわw
法律違反までして畏れなければいけない神さまが本当に必要なのか考えて欲しいですよ。
過去には禁令下でなくとも海外での奉仕で身体を壊して亡くなったり、不幸な事故に巻き込まれて亡くなったり、強制送還された人もたくさんいます。
そこまでしてしなければ畏れてないとみなさない神さまは必要ですか。
で、結局いつもの特権持ち上げ。
15節
私たちも、「教え導いている人たち」に従い、心からサポートするようにしましょう。
しょうもない事で裁判官気取りになったり、どうでも良い事にこだわって助言してきたり、そんな情緒不安定な上に己の生活もままなってないような人をサポートするって、こっちも人生大部分無駄にしてきたんでね。へぇお代官様とか付き合ってらんないんですよ。
茶番劇は自分たちだけで楽しんで( ゚Д゚)
18節
エホアシュは、根が浅く、杭に頼って立っている木のようでした。杭のような存在だったエホヤダがいなくなり、背教の嵐が吹き付けると,エホアシュは倒れてしまいました。この例から、エホバへの畏れを持ち続けるためには家族や仲間の兄弟姉妹に頼りきりではいけないということが分かります。
頼り切りの人こそ組織の中で周りを裁き、疲弊して離れた人を信仰不足と罵りながら生きてますけどね( ;∀;)
結局そうやって畏れろ、さもなくば滅びんと脅迫しないと宗教が成り立たないんですよ。
そんな宗教で神さまぁあぁお守り下さいと祈って守られると思います?
思う人だけで続けたら良いけど、こっちはそんな暇じゃないしそんな暇でも付き合いたくないからね!
ああ存在不明の神さま
あなたの導きたもう選民たちは
何もしてくれない神さまを畏れることに必死です
アーメンど