イタリアはベニスだけしか滞在したことがなく、あまり語れるほどではないのですが一応二度行っています。一度目は1989年の夏。電車での旅でした。印象は太陽がいっぱいって感じで、僕は「一目で好き!」になってしまった場所です。
ベネチア・サンタルチア駅を降りるともうすぐ目の前に運河が広がっていて、日本では見ることができない風景が広がっています。色とりどりの古い建物が運河の水の上に浮かび、そしてベニス全体を歩いて回るのが目的かのように沢山の橋で運河をつないでいるのは壮観な眺めです。
最初に行った時には最初の2日間は英国の英語学校で知り合ったすごく綺麗なイタリア人女性サラに案内をしてもらってベニスの協会や美術館などを訪問したりして観光を楽しませてもらいました。
ただ、ベニスの人間も良い人ばかりではないです。確か橋の上にある靴の店でスリッポンタイプの靴を品定めしていた時です。中学生らしきイタリア人の3人の男の子がくすくす笑いながら僕の後ろを通っていくではありませんか。すばやく、それに反応したのはサラで、大きな声で彼らをどなりつけました。もちろんイタリア語ではなく、現地のベニス方便でまくしたてました。サラが「ちょっと身体をくるっと回してみて」と言うので、そのとおりにすると僕の背中に紙が貼られてあって、何か書かれていました。いたずらです。まあ、別段命に別状があるわけじゃあないので、笑って流しました。サラの方がかっかしていて、さらに「ベネチア人として恥ずかしい!」と憤慨していたのが忘れられません。
その当時、イタリアで公衆電話をかける時には「ジェットーネ」という特別なコインを必要としていました。僕はベニス3日目にシモーナとマルコと言う高校生のイタリア人姉弟の家に泊めてもらう予定だったのですが、滞在していたホテルからシモーナの家に電話をかけたときに電車で最寄駅に到着したらまたそこから電話をくださいとの話を受けたのですが、その時はホテルの電話だったのでジェットーネはいりませんでした。
シモーナが教えてくれた駅はサンドラ・リピヤーベなんちゃらかんちゃら言う益で、ずいぶんと田舎で寂しい駅周辺のたたずまいで「本当にこんなところに済んでいるのかな?それにしちゃあずいぶんと長い間待ってるけどシモーナ、迎えにこないな。」と時間がだんだんと過ぎ、2時間ほど駅でまっていたらようやくシモーナが彼女の母親と一緒に駅に迎えに来てくれました。「ジェットーネ持ってないの?」と言われて「それってどこで買うの?」と買い方すらしらなかった僕は連絡のすべがなかったのでした。
シモーナの家についてからの話はまだいつくかあるので(2)でお話しましょう。