7月になると暑さも増してきて、そうなると気になる出すのが夏休み。
日本の夏ならではの風物詩ってありますよね。ラジオ体操もそうなのでは?って思います。
ボクみたいな年代のオッサンだけではなく、ボクの前世代も後世代も普通にラジオ体操に高い親和性を持っているのです。
不思議なことは、このラジオ体操、ほとんどどんな人でも知ってるし、ほとんどどんな人でもできる。それに加えて体操の順番も間違えない。さらにその動作毎のメロディまで知っている。すごい事には(ラジオ放送における)体操開始前に流れるテーマソングの歌詞まで知っている。
ここまで完璧な国民的行事ってありますでしようか。いまやラジオ体操は日本の夏の風物詩として定着しました。(年がら年中やってますけどw)1927年(昭和2年)NHKのラジオ放送から端を発して令和の今日に至る日本人の健康史の賜物です。
しかし、これほどまでに日本国民の支持を得て日本人の心を離さないラジオ放送にも苦難の時代があったのです。
太平洋戦争終戦の後に日本にいらっしゃったマッカーサー元帥とGHQの御一行。日本人の老若男女が、公民館の前や神社の境内で元気にラジオ体操やってるのを見て、「これこそが日本人がファシズムに走った原因だ。」と(ラジオ体操の第一さえもロクにやってないのに)一方的に決めつけて、これを禁止にしたのです。
異民族支配による弾圧が行われたのです。
(上記貼り付けを読んでもらうと分かりますが)ラジオ体操の元ネタは「1920年代に逓信省簡易保険局(現在のかんぽ生命保険)の職員が、アメリカのラジオで健康体操が放送されていることを知り…」(貼り付けサイトの文章を借用)が示す通り、米国発なのです。
自由と民主主義大国(であるはずの)米国で生まれたラジオ体操が、日本ではファシズムや全体主義の温床であり濫觴(らんしょう)とみなされた訳です。これこそが本末転倒であり、GHQが上から目線で軍事占領目的の進駐を行った証拠にほかなりません。
しかし、そのような逆境をものともせず、関係各位の皆様方やラジオ体操を愛し国民の健康増進を祈念する国民の声なき声により再開の運びとなりました。
「ラジオ体操復活を望む国民の声が政府やNHKに数多く寄せられるようになったため、老若男女を問わず誰でもできる新しいラジオ体操が再び作られ、1951年から放送が開始された。」(貼り付けサイトの文章を借用)が示す通りです。
日本人は自らの手で再びラジオ体操を勝ち取ったのです。
自由と民主主義を支持する日本国民の勝利であると言っても過言ではありません。
月日が経って令和6年、毎週水曜日の柳ケ瀬本通り。ボクはラジオ体操に参加してます。
柳ケ瀬を活気ある商店街へと復活させるべく地元の有志ちゃんの呼びかけでアーケードの下に集結してやってます。第一と第二、両方とも。
日本の自由と民主主義同様、柳ケ瀬も復興するでしょう。
ラジオ体操の掛け声とともに。