気になる言葉 <第858回>
第二十六侯『芒種』の次候、『腐草為蛍(ふそうほたるとなる)』です。
腐った草が蛍に生まれ変わる時季、という意味ですが、じっとりと湿度が高い季節、腐りかけた草の下から蛍が光を放ち始めます。昔の人は、腐って蒸れた草が化けて蛍になったと考えていたのだそうです。
私の住む阿久比町はヘイケボタルの里とも呼ばれ、毎年6月中旬に「白沢ホタルの里」でホタルの鑑賞会が開かれています。
朝散歩の夜明けは益々早くなり、出発時点ではすっかり明るく、すでに強い日差しを感じるようになりました。
この日の朝はユーカリの木が生えている高台から爽やかな初夏の光の風景を見ることができました。梅雨入り直前のしっとりとした光景は日本の原風景を思い起こさせてくれます。
<写真1>
しばらく歩くと、ふさふさしたクリーム色の栗の花が見えてきました。満開時には木全体が白く見えるようになります。
近づくと精液を感じるような ”1-ピロリン”という不飽和アルデヒドの匂いがします。栗は虫媒花なので、この独特な匂いで虫を誘い受粉を促しているわけですね。
<写真2>
遠きに見近きに香り栗の花 (稲畑廣太郎)
親しげに枝垂れて咲くや栗の花 (鈴木阿久)
栗の花風に膨らむ匂いあり (橋本千代子)
栗の花と言えば、毎年思い出す『栗の花』という荒井星花の詩がありましたね。
木立ちの丘の
一軒家
栗の花が宵月に眠っている
腰巻一つのむっちりとした母親の膝に
安らかないびきを立てている
幼児
渋うちわに涼風(りょうふう)をおくっては
わが子の寝顔に見ほれている
父親
天国のような一軒家
星の月夜の
一軒家
すやすや眠る子ども、両親の温かい愛を感じながら、、、。
何気ない日常の中に、愛が溢れていて、何とも温かい気持ちにさせてくれる詩ですね。
ゆったりとした時間が流れている、まさに天国のような雰囲気に包まれた一軒家です。
今週の<気になる言葉>は、大学の先生であり、武道家として道場を持つ内田樹先生の「才能は温室で開花する」という言葉です。
毎年この時期なると「入学や入社で新しく入ってくる新人の若者にどういう態度で接したらいいか」という話題になるのですが、長く教壇に立ち、道場でも新弟子を迎える経験を多くしてきた内田樹さんは、「厳しく叱ったりする必要はない。むしろやさしく接するべきだ。」と語ります。
甘やかし過ぎじゃないか、という声も出たりしますが「もうそんな時代ではない、むしろ、”新しい世界の厳しい嫌な面を見せつけられるよりも、楽しそうにやっている先輩や上司を見る方が気持ちがいいし、将来への期待感を持つことが出来る”」と語ります。
少々古い教育を受けた私のような世代にはすこし違和感もありますが、よく考えると、たしかに内田樹先生の言うことが理に適っているように思えますね。
今週の<旅スケッチ>は、初夏の高原の早朝の風景です。
このところ『自然な光と雲』をテーマに少しづつ描いていますが、この雲は東の方からの朝日を受けて縁の部分が光っている様子がおもしろく、やや神秘的にも感じましたので描いてみました。
コバルトブルーの空を塗ってから、半乾きのときにティッシュで雲の白さを作っていくところはいつもと同じですが、光輝く縁を白のパウダーパステルを使うか、ガッシュでいくかを迷うことがあります。ここでは、レンブラントのパウダーパステルの方を使ってみました。
まだ修行が足りない感じですが、雰囲気だけでも、、、と。
今週の<朝の散歩道>の一枚目は、わが家の庭にある紫陽花の上に大きなカタツムリがいた様子です。
6月の梅雨の時季になったら、やはり紫陽花ですね。そして、そこにぴったり合う雰囲気を持ったカタツムリが、、、。 なんとも絶妙な組み合わせでした。
しかし、紫陽花の葉っぱには昔から、青酸配糖体とかアルカロイドのような有害な毒素が含まれていると言われており、だいじょうぶなのかな、という感じもしましたが、
少し調べてみると、カタツムリは紫陽花の葉っぱなどは食べず、雨から身を守るために身を寄せているだけ、、ということだそうで,大丈夫みたいでした。
紫陽花の陰からゾロゾロかたつむり (田口七海)
雨あとの時を豊かにかたつむり (棚山波朗)
紫陽花や雨間に遊ぶかたつむり(早苗)
二枚目は、葱坊主のように、ボール状の大きな花を持つアリウムの様子です。
別名「花葱(はなねぎ)」とも呼ばれますが、いわゆる葱坊主と言われるねぎの花と同じ仲間ですね。正式にはヒガンバナ科ネギ属の多年草だそうです。
種類は多く、約400種ほどあると言われていますが、どれも細長い花茎の先にボールのような花房をつけています。
また、どれもカラフルな色で、いわゆるネギ臭さも持っているようですね。
どういう意味があるのか知りませんが、アリウムには「限りない哀愁」とか「くじけない心」「優しさ」「夫婦円満」など沢山な花言葉があります。
1.「才能は温室で開花する」
-内田樹(神戸女学院大学教授、武芸道場主)ー
「入学や入社で新しく入ってくる新人の若者にどういう態度で接したらいいか」古くて新しいテーマの一つですが、これに対して、「厳しく叱ったりする必要はない。むしろやさしく接するべきだ。」と主張する内田樹先生の考えがとても新鮮に感じられました。
その理由について述べた言葉を紹介します。
やさしく接するべきだと思います。やさしくて、「いい人だな」と思われるのが一番です。新人に厳しく接して怖がられる人の意図が僕にはわかりません。僕はやさしいですよ。
学生にも道場の門人にもやさしい。甘やかし過ぎじゃないかと言われることもあります。でも、長く教壇に立ってきた経験から、「才能は温室で開花する」ということについては確信があります。上からの査定的なまなざしに脅えながら才能が開花するなんてことは絶対にありません。
僕は若い人たちに、何か僕のために働いて欲しいわけじゃない。彼ら自身が大人になって、社会的な能力を高めて欲しいだけです。そして、子どもをすみやかに大人にするために、僕が知っている最も有効な方法は、「大人になると楽しそうだ」と思わせることです。
その理由をさらに、「成長しない人は『子どものままでいること』からそれなりの利益を得ているから」と語ります。
だから、子どもを大人にしたければ子どものままでいるより大人になった方がずっと愉快だと教えてあげればいい、というのです。例えば、新入社員の場合、「一人前になると仕事がすごく楽しくなる様子を見せてあげればいい、叱る必要などはない」というわけです。
私のような古い教育を受けた人間にとっては、少し「本当かなあ」と感じるとこがありましたが、一方では、「確かに新しい世界の厳しい嫌な面を見せつけられるよりも、楽しそうにやっている先輩や上司を見る方が気持ちがいいし、将来への期待感を持つことが出来る」ようにも感じました。
「武道や芸事をやっていると、”師匠がやっていて気持ちの良いことは感染力があり、模倣を促す力が強い”と実感で分かります。」という言葉が、とても印象に残りました。
それではまた。