気になる言葉 <第857回>
六月に入りました。第九節気の『芒種(ぼうしゅ)』です。
「芒(のぎ)」とは、イネ科植物の穂先にある針のような突起のことですから、芒種は、稲のような芒のある植物の種を蒔く時季ということで、稲で言えば田植えを始める目安とされてきたのですね。
今でこそ機械での田植えになりましたが、昔は田の神様をお祀りする神事の意味合いもあったようで、花笠姿の早乙女が田植えをする風習が残っています。六月になるとこの辺りでも、ほとんどの田植えは終わります。
田植えが終わった後の静けさを感じるのが、この時季の朝散歩の楽しみの一つです。
<写真1>
六月は梅雨入りの季節でもあります。朝散歩の道端には梅雨らしい色づいた多くの紫陽花が見られるようになります。紫陽花はどうも日当たりが苦手らしいのです。
紫陽花は日本原産の花で、世界にこの紫陽花を紹介したのは、シーボルト先生だそうです。その名前を彼が愛した日本人妻の楠本滝(愛称、オタキさん)の名をドイツ風に捩ってOtakkusa としたのは有名な話です。
<写真2>
紫陽花や日課となりし散歩道 (木戸波留子)
紫陽花の変化はじめの浅みどり (菅晴太)
紫陽花や青より昏るる小径かな (河合笑子)
紫陽花で思い出す仏教詩人、坂村真民さんの『あじさいの花』という詩があります。
まるくまるく
形のよいものになろうとする
やさしい心の
あじさいの花
きのうよりもきょうと
新しい色になろうとする
雨の日の
あじさいの花
紫陽花の花は毎朝見ていると、青→紫→ピンク とゆるやかに変化していきますよね。
そんな様子を表現したのでしょうか。
今週の<気になる言葉>は、五木寛之さんの本の中に書かれていた言葉です。
最近の子は、神経質というか、異常なくらいの清潔さにこだわっているようです。手だけでなく、”朝シャン”などと言って清潔のために毎朝髪の毛を洗ったりする子も増えています。
泥まみれ、擦り傷だらけで遊んだ私のような世代の人間からすると、何だか気味の悪さを感じるほどの清潔魔のような印象を受けます。その様子を見て五木寛之さんは、「たぶん現代の日本人の抵抗力のなさ、自然治癒力の弱さそのものが大きな原因ではないかと思えてなりません。」
と語ります。
もちろん清潔さは大切ですが、それでも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」のような気がしてならないのです。
今週の<旅スケッチ>は、初夏の風が吹く湖畔の道の風景です。
諏訪湖だったでしょうか、初夏に訪れたとき目にした風景で、温かい日差しを受けて何とも気持ちのいい、透明感あふれる雰囲気を感じました。
新緑と遠くに見える白い雲、そこに吹く薫風、、、、、いかにも風景全体から感じられる初夏の醍醐味ですね。
空の青さ、雲の白、新緑の緑、木の陰の濃い紫、、、これらの色の組み合わせで初夏の雰囲気を表現してみました。透明感がこの時季の持ち味ですから、補色同士の色が混ざって暗い色にならないように混色にも少し気を遣いました。
初夏に爽やかな雰囲気を、お楽しみくだされば、、、と。
<朝の散歩道>の一枚目は、田植えを終えた田んぼに現れて餌を狙っているシラサギの様子です。
荒起こし、代掻き、田植え後は、シラサギ、アオサギ、アマサギなど多くのサギたちが集まってきます。この時季になると、ドジョウなどの小魚や、カエル、甲殻類など餌が一気に多くなるからです。
この写真のサギは大きさから見て、チュウサギでしょうか。白い羽がいかにも田んぼに映えますよね。
二枚目は、やはりこの時季になると多く見られる花菖蒲(はなしょうぶ)です。
開花時期は6月の初~末ころになります。
葉が菖蒲に似て、美しい花が咲くことから「花菖蒲」と名つけられたとのこと。よく「あやめ祭り」が開催されたりするのですが、この”あやめ”は、この花菖蒲のことをさすことが多いようです。
菖蒲とかアヤメ、カキツバタ、、なんとも区別がしにくい花たちですね。
彩りや朝日に映ゆる花菖蒲 (吉田きみえ)
花菖蒲今日が見頃といふ出会ひ (稲畑廣太郎)
気品とは斯くなる姿花菖蒲 (山下健治)
1.「日本人の生命力が年ごとに衰えていく気がします」
ー五木寛之(作家)ー
コロナ禍を経験したせいかもしれませんが、一日に何回も神経質なほど手を洗うことが増えました。また、”朝シャン”などと言って、清潔のために毎朝、髪の毛を洗ったりする若い人が増えています。
もちろん清潔にすること自体は悪いことではないのですが、何か行き過ぎているような印象を受けることが増えました。このことについて五木寛之さんが本の中でこんなふうに語っていました。
先ごろバリ島で日本人の旅行者だけが、やたらと伝染病めいた症状を呈して話題になったことがありました。
僕の考えでは、たぶん現代の日本人の抵抗力のなさ、自然治癒力の弱さそのものが大きな原因ではないかと思えてなりません。
先日読んだ本の中におもしろい統計があって記憶に残りました。それは、子どもの頃にたくさんケガをした経験を持つ人間ほど、大人になって交通事故に遭いにくいというデータなのです。
ブランコから落ちてほっぺたをすりむくとか、自転車に乗ってころんで擦り傷を作る、ナイフでケガをするなど子どもの世界にはありとあらゆる冒険や危険がみちみちています。そんな中で何度も事故に出遭い、痛い目にあいながら成長した人間ほど、大人になって交通事故にあったりすることが少ないというのはおもしろい指摘ではないでしょうか。
たしかに私の子どもの頃は外から帰ったらすぐに手を洗うとか、毎日シャンプーするなどということはなかったですね。
清潔さで言うと、決して褒められるような状況ではありませんでしたが、それでも何とかこの歳まで生きて来れたし、むしろそれが自分たちの中に自然治癒力というか、自ずと回復する力を育ててくれたような気がしているのです。
ナイフについても、昔は筆箱の中に折りたたみ式の和風のナイフ「肥後守」を入れていたものです。先が鋭くとがっていて、考えようによっては相当危険な刃物ですが、それで鉛筆を削ったりするのは当り前でしたね。
また、最近話題になっているケンカ祭とか神輿(みこし)同士をぶつけ合うような一見危険に見えるお祭りが禁止されたり、すっかり大人しくなってしまったニュースもあります。
何だか、最近日本人の生命力が年ごとに衰えていくような気がしてならないのですが、皆さんはどう思われますか。
それではまた。