気になる言葉 <第851回> | MIKEのブログ

気になる言葉 <第851回>

第六節気の『穀雨(こくう)』です。

地上の穀物を育てる春雨が降る季節になりました。穀雨とは百穀を潤す雨という意味ですね。『穀雨』は春の最後の二十四節気にあたります。一雨ごとに葉の緑は深さを増して、やがて新緑の季節へ移り変わっていきます。

 

この時季になると、朝の散歩道の周辺の田んぼでは蓮華(レンゲ)の花が満開を迎え、一面にピンクの絨毯を広げたように咲きひろがります。

蓮華の花は小さなマメの花の集合体で、複数の小花を放射状に広げるように咲かせます。花の付け根は白く、花びらの先にいくに従ってピンクが濃くなっていきます。塗りつぶしたようなピンク単色ではない複雑さも蓮華の花の魅力です。

<写真1>

 

この辺りの田んぼに蓮華の花が広がっているのは、蓮華の根についた根粒菌が蓄える窒素が田んぼを肥沃にするためで、花後はそのまま鋤きこんで緑肥として使用します。

わが阿久比町では昭和63年から「安心・安全なおいしいお米」を目指して、かつて行われていたこの「レンゲ農法」を復活させ、徐々に広げていきました。

平成11年には『れんげちゃん』が商標登録され、平成13年には環境保全型の農業推進コンクールで農林水産大臣賞を受賞しました。

 

あぜ道のうねり見えけり蓮華草 (子規)

見て摘んで最後は遠いれんげ草 (直江裕子)

れんげ草鋤きこんでいく耕運機 (國保八江)

 

そういえば、金子みすゞさんの『仲直り』という可愛い詩がありましたね。

 

げんげのあぜみち、春がすみ、

向こうにあの子が立っていた。

 

あの子はげんげをもっていた、

私もげんげを摘んでいた。

 

あの子が笑う、と、気がつけば、

私も知らずに笑ってた。

 

げんげのあぜみち、春がすみ、

ピイチク雲雀が啼いていた。

 

子ども同志のケンカをモチーフにしたとても心温まる詩ですよね。

誤りたいけど素直になれず、ケンカしてしまったことを、後悔しながられんげ畑に行ってみると、友達も同じ気持ちで、同じようにレンゲを摘んでいた、このシーンを想像すると何とも愛おしさが溢れます。

 

 

 

今週の<気になる言葉>は、シスター鈴木の”ご機嫌な人でいる大切さ”についての言葉からです。

人は誰しも幸せに生きたいと願っていますが、それをかなえるために大切なのは、あなた自身が明るくのびのびしていること、つまり「ご機嫌な人」でいることです。

フランス語には「ご機嫌で暮らせるのが幸せだ」という言葉があります。日本語では「ごきげんよう」と訳されます。

 

そうなんですね、さらに自分だけでなく、苦しんでいる人を見ると一緒に苦しんであげたいという気持ちも湧きますが、でも、あなた自身まで同じ状態に置かれてしまっては、苦しい人に寄り添うことは出来ませんよね。

冷たいようですが、やはりご機嫌よくいること、がその人のためにもなると言います。

また、そのためには”小さな幸せを見つける達人”になることだと、シスター鈴木は言います。

できそうで、なかなか難しいことですが、お互い努力はしたいものです。

 

 

 

今週の<旅スケッチ>は、北海道の菜の花の風景です。

 

 

春が遅い北海道も五月に入ると菜の花が咲き始めます。

あたり一面見渡すかぎりの美しい菜の花畠、ここ滝川市の菜の花畑は有名で、「北海道感動の瞬間(とき)100選」に選ばれているそうです。

澄み切った空気の中、まるで黄色い絨毯が一面に広がるようで、圧巻の風景になります。

 

一面の菜の花ですが、よく見ると黄色一色ではなく、茎は葉の緑や、空からの青味がかった色などが複雑に反映し合って深みのある黄色になっていました。

また、空のコバルト色と黄色の相性も良くて、全体が爽やかな印象を出せるように工夫してみました。

そんな雰囲気をお楽しみいただければ、、と。

 

 

今週の<朝の散歩道>は、タンポポの穂綿が目立つようになった風景です。

 

 

春に咲いたタンポポの花が萎むと、綿毛が出来ます。

この綿毛はとても不思議な存在で、たんぽぽの花全体を「頭花」と言いますが、そのなかの花びら一枚一枚を「舌弁花」といいます。この舌弁花の下に実になる子房があり、

その上に毛状の突起の冠毛が生えていてこれが綿毛になります。

風に飛ばされやすいように、羽に似た形をしています。さらに驚くのは、細い茎。穂綿が風を受けて飛ばされやすいように垂直にピン伸びていくことです。まさに、全員”気をつけ”の姿勢になるのですね。

たんぽぽの穂綿は、軽く、風の赴くまま気の向くままに、はるばると飛翔し、着地したところで子孫を増やしていくことになります。

 

たんぽぽの一茎のはや絮となる (水野春郎)

蒲公英がたんぽぽとなる風の中 (塩見恵介)

たんぽぽや夢携えて絮毛飛ぶ (福田みさを)

 

 

 

1.「幸せに生きたいなら、”ご機嫌な人”でいることです」

     ー鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)ー

 

当たり前のことかもしれませんが、人は誰しも幸せに生きたいと思っています。そして、自分の愛する人にも幸せになってほしいと願っています。これについて、60年間人々の心を危機から救ってきたシスター鈴木が、著書の中でこんな風に語っているのを目にしました。

 

人は誰しも幸せに生きたいと願っていますが、それをかなえるために大切なのは、あなた自身が明るくのびのびしていること、つまり「ご機嫌な人」でいることです。

フランス語には「ご機嫌で暮らせるのが幸せだ」という言葉があります。日本語では「ごきげんよう」と訳されます。たとえ、あなたの周りに今、とても苦しんでいる人がいるとしても、あなたは機嫌よくいることが大切です。

「大切な人が辛い目に遭っているのだから、一緒に苦しんであげたい」と思うかもしれません。でも、あなた自身まで同じ状態に置かれてしまっては、苦しい人に寄り添うことは出来ませんよね。

幸せを深く感じ、ご機嫌な人でいるためには、小さな幸せを見つける達人になってください。

歩ける、手が動く、ご飯を食べられる、お手洗いに行ける、、そうした当たり前のことができるのは、なんと素晴らしいことなのでしょう。

あなたがご機嫌でいると、あなたの周りにはたくさんの人が集まってきます。誰だって不機嫌な人よりもご機嫌な

人のそばにいたいのです。

 

たしかにいつも機嫌よく明るい顔をした人がいると、周りが明るくなり、幸せな気分になってきますよね。

何だか生きるのが楽しくなってくるから不思議です。こういう「幸せ発信地」のような人の口癖には共通した言葉があるとも言います。

「いいじゃありませんか」「良かったじゃありませんか」「それってチャンスではないですか」と。

 

私の周りにもそんな人がいます。彼に、こんな困ったことがあったのですよ、と言っても「まあいいじゃないですか、とても面白いですよ」と笑顔を絶やさず、「それなら、こうしてみたらいかがですか」とさらに、とてもいい知恵を出してくれるのです。

そういう幸せ癖の持ち主は決して外に幸せの答えを見つけるのではなく、自分の心の中にどんどん幸せの種を育てていけるのですね。

 

それではまた。