気になる言葉 <第848回> | MIKEのブログ

気になる言葉 <第848回>

今週から4月に入り、いよいよ春本番。第五節気の『清明(せいめい)』になります。

春の温かな日差しを受け、天地万物が清らかで生き生きとする頃になります。清明は「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」を略したものです。

中国の五行説では、春は青ということになります。青春という人生の春はそこから来ており、まさに清明のような活力みなぎる人生の春を意味します。

今朝の朝散歩は、地元の「卯坂」を横切るコースでした。村の中にある兎養山弘誓院(とようざんぐぜいいん)という寺の門前にはすでに早咲きの桜が咲いていました。

昔、天台宗開祖伝教大師最澄が、全国行脚の途中でここ阿久比の地に立ち寄ったところ、池の中央から金色の光が立ち上り、どこからともなく現れた白兎が光めがけて飛び込み、一寸七分の阿弥陀仏を口にくわえて大師の前に運んできた。

その出来事を聞いた都の帝は大変喜び、勅願時を建立し「兎養山長安寺(とようあんちょうあんじ)」と名付けるよう命じたそうです。その後に縮小されていますが、当時は七堂伽藍がそびえ立つ広大な寺院だったと言われています。

天文二年になって天台宗から浄土宗へと改宗され現在の地に兎養山弘誓院が開山されました。

 

<写真1>

 

しばらく歩くと道端に土筆(つくし)が生えているのが見えました。この一週間で急に伸びてきたようです。

つくしという名前は「澪標(みおつくし)」という船が港に入る通路を示す杭の突き立つ様子から来たという説や、単に形状がに似ているところから土筆という字があてられたという説があります。

 

<写真2>

 

人はみなふるさとを持ち土筆摘む (柏井幸子)

土筆の茎人肌いろに透きとほり (能村登四郎)

立たされてつくしとなりぬ廊下の子 (川名将義)

 

そう言えば私の好きな詩人、吉野弘の『つくし』という詩があります。

 

つくし

土筆

土から生えた筆

 

風が土筆に聞いています

お習字が好き?

お習字が好き?

 

土筆が風に答えています。

はい いいえ

はい いいえ

 

つくし 土筆

光をたっぷりふくませて

光を春になすっています

 

”はい いいえ”の繰り返しで風に吹かれてこっくりしたり、いやいやしたりする土筆をうまく表現しています。慈愛に満ちた詩人のまなざしを感じますね。

 

 

 

今週の<気になる言葉>は、徳川御三家の一つである水戸徳川家の流れを汲む讃岐(さぬき)国高松藩松平家の末裔である松平洋史子さんの言葉です。

”武士道には、「型から入って心に至る」という言葉があるように、姿勢を正せば心も変わる、物事の本質が見えるのですよ、と子どもの頃から言われました。”

と本の中で語っておられますが、姿勢を正しくすると何だかピリッとした感じがして、周りの様子とか、相手の言っていることの意味とか本質がよく分かるようになりますよね。

私も昔から『腰骨を立てよ』と叱られたりしながら育ってきたような思い出があります。

これはわが故郷の偉人、森信三先生の教えからきた教育でしたが、たしかに、姿勢を正すと心身ともに健康になれるような感じはありましたね。

 

 

今週の<旅スケッチ>は、三河にある西尾市郊外の春の風景です。

 

 

矢作川の支流でしょうか、川の土手も黄色くなり、何となく春の雰囲気を感じるようになりました。遠くの山も霞がかかっているようです。

とくべつなものがある景色ではないのですが、こういう風景を見ると何か心落ち着くような気がします。

透明水彩とかパステルの淡い色をベースにした広がりと空の青さ、黄色い花、草の緑などのバランスで春の温かさを表現したいと考え、描いてみました。

 

 

 

今週の<朝の散歩道>の一枚目は、シモクレン(紫木蓮)の花が満開になっている様子です。

 

 

先週は白木蓮を紹介しましたが、中が白、外が紫のシモクレンもなかなか上品な雰囲気があっていいものです。

花は上向きに咲き、全開せず枝先に紫というか、濃紅色の卵型の花を咲かせます。

その時はまだ新葉が出ていません。葉が出る前に花だけがたくさん一気に先に咲くのは桜も同じですよね。それだけに木全体が華やかに見えます。

実は、この花にはなかなか上品な香りもあって、magunolia(マグノリア)という芳香剤の香りとして知られています。

ただ、この花が咲く時季は風が強く吹き、すぐにビロビロになったりするのが残念です。

 

紫木蓮空紫に染まるごと (青垣和子)

紫木蓮踊りて止まず風止まず (林翔)

紫木蓮音のするかに散りこぼる (芝尚子)

 

二枚目は、ムスカリの花です。

 

 

この時季になると葡萄の房のように密集して青い小さな花が咲くムスカリですが、その起源はけっこう古く、地中海沿岸や南西アジアから伝わってきたと言います。

moschos(ムスク)というギリシャ語から来ている名前ですが、麝香(じゃこう)のことですね。

花は一見するとヒヤシンスにも葡萄の実のようにも見えることから、ブドウヒアシンスの別名もあります。

イラク北部にある約6万年前のネアンデルタール人の遺跡から、埋葬時にムスカリの花を手向けたと考えられる痕跡が多数発見されており、人類最古の埋葬花とされているそ

うです。

この花、繊細そうに見えますが、実はけっこう強く、特別な手入れもなしに広がっていくと言います。

 

ムスカリや小人の国のシャンデリヤ (宮田幸子)

ムスカリや薄き詩集を膝に置く (木村洋子)

 

 

 

 

1.「姿勢を正せば、視野が広がり、見えなかったものが見えてくる」

          -松平洋史子(大日本茶道協会会長)ー

 

徳川御三家の一つである水戸徳川家の流れを汲む讃岐(さぬき)国高松藩松平家の末裔として生まれ、先人たちが受け継いできた日本人の心、文化伝統のすばらしさを人々に

伝え続けている松平洋史子という人がいます。

最近の激動の時代において、いかに日本人らしく美しく逞しく生き抜けばいいのか、のヒントを本の中で語っているのを目にしました。そのうちの一つです。

 

松平家で最初に教わるのが姿勢です。武士道には、「型から入って心に至る」という言葉があるように、姿勢を正せば心も変わる、物事の本質が見えるのですよ、と子どもの

頃から言われました。

皆さんは会議の席などで、人の話に耳だけ傾けてうつむいていることはありませんか。試しに姿勢を正してみて下さい。視野が広がって周りの人の様子や話している人の表情が分かり、「この人はこんなふうに考えていたんだ」とそれまで見えなかった世界が見えてくることでしょう。

また姿勢を正せば見た目も美しくなり、張りのある美しい声を自然に出せるようになるもの。背を丸めていては見えるものも見えなくなり、目の前の幸運も逃げてしまいます。

よき人生の第一歩は姿勢を正すことから始まるのです。

 

たかが「姿勢を正す」だけで、という人がいるかもしれませんが、私の経験からしても、この「姿勢を正す」ことの効用は絶大なものがあると感じています。

実は、私の生まれた半田市の偉人”森信三先生”の言葉に『腰骨を立て自らの主体性を確立せよ』という箴言がありますが、私の子どもの頃から半田市では『立腰(りつよう)教育』がずっと実践されてきました。

 

具体的には、まず尻をウンと後ろに引き、つぎに腰骨の中心をウンと前に突き出す。そして軽くアゴを引き下腹に心もち力を入れる、という三点で、難しいものではありませんが、効果は絶大なものがあると信じてきました。

この『立腰』の根本は”心身相即”の原理に由来するもので、心をシャンとしようと思えば身体をシャンとすること、言い換えれば、身体と心とは互いに密接な関係があるわけで、まさに「良き人生の第一歩は姿勢を正すにあり」という教育だったのです。

 

それではまた。