気になる言葉 <第847回>
3月20日は「春分の日」でした。
太陽が真東から昇り、真西に沈むため昼と夜の長さが同じになる春分です。朝晩の寒さのせいか、何だかまだ冬の季節の中にいるような感じがしますが、今週は第十一侯の『桜始開(さくらはじめてひらく)』になり、いよいよ桜前線が日本を横切っていく時季になります。私の朝散歩の径の桜も蕾をたくさん枝先につけてじっと咲くのを待っています。
春分の日も過ぎて、気のせいか朝散歩の日の出も少しづつ早く感じるようになりました。
<写真1>
散歩道の途中で見たハクモクレンが満開になっています。遠くから見ると白い小鳥がいっぱい木の枝にとまっているように見えますが、その厚みのある花のボリューム感にいつも圧倒されます。また、コブシのように花びらは全開しないのも清楚な感じがします。
<写真2>
<写真3>
白い花びらは太陽の光を受けて南側がふくらむので、花先が北側を指します。そのためにたしか「磁石の木」と呼ばれることもありますよね。
白木蓮の宙に際立ち遠目にも (山中明石)
白木蓮の雨粒光り空の青 (橋本幸子)
花木蓮天へ献ずるかに真白 (門田窓城)
ハクモクレンの花言葉には「気高さ」とか「高潔な心」などがありますが、確かにそんな感じがします。
詩人、吉野秀雄は、短い『白木蓮(はくれん)』という作品を残しています。
白木蓮の花の千万青空に
白さ刻みてしづもりにけり
青空の染めむばかりの濃き藍に
皓(しろ)さ磨けり白木蓮の花
しろたへの白木蓮空にまかがよひ
地には影しつ花さながらに
今週の<気になる言葉>は、政治学者であり、親日家で知られたロバート・D・エルドリッジの言葉です。
この30年間、失われた日本の活力、、などと言われてきたのですが、エルドリッジ博士は、「日本のすばらしさや可能性はなくなっていない」と力説しています。
また、「日本 は多様性がない」ということについても、決してそんなことはない。むしろ日本ほど多様性に富んだ国はない、とも。
問題は、「地方を大事にしない”首都一極集中”だと思います。このまま一極集中が進み、地方が衰退していくと日本が発展してきた強さの源泉にある地域の多様性、地域・家族同士の繋がり、助け合いの関係が薄れ、歴史・伝統・文化・日本人の知恵の継承も難しくなる」と指摘しています。
何だか、力づけられるような彼の言葉ですね。私たちはもっと自信をもってそういうものを大事にしていかなければ、、と感じました。
今週の<旅スケッチ>は、早春の信州の風景です。
手前の畑に黄色に広がる菜の花が、早春の雰囲気を感じさせてくれます。遠くに見える川は千曲川でしょうか。そのまた奥に見える雪の残った山々は南アルプス、、。
7~8年前に行った旅行の思い出が浮かんできます。
手前に広がる菜の花畑は単調な色づかいにならないように、いろんな黄色系の絵の具を混色したりして使っています。また、立体感を少しでも感じられるように、最後にアクリル絵の具をところどころに凸凹にして塗ったり、空の色を反射させてみたりしてみました。
遠くまで広がる明るい風景の中に春を感じていただければ、、、と。
<朝の散歩道>の一枚目は、赤紫色の「仏の座」が一面に咲く様子です。
仏の座は、色的に言うと蓮華の花のように見えますが、少し違います。仏の座の名前は半円形の葉が茎を取り囲んでつくようすを「蓮華座(れんげざ)」という仏様の台座に見立てたものです。そして、その葉の付け根辺りに約2㎝の紫色の花を咲かせます。
葉が階層的につくことから「三階草(さんがいぐさ)」という別名もありますね。
早春に咲く仏の座ですが、甘い蜜を求めて蜂などの昆虫が集まってきます。そして出来た種には蟻の好む糖とかアミノ酸が含まれているので、蟻のお蔭で畑一面に広がっていくのです。
寒ながら早々咲ける仏の座 (青木陽子)
地にへばり付き咲く花の仏の座 (有働亨)
むらさきに一畑を染め仏の座 (田中喜久子)
二枚目は、ヒサカキの花です。
ヒサカキは榊(さかき)の代わりとして神棚に飾られることが多い木ですが、榊よりも小さいために、姫をつけて「姫榊(ひめさかき)」となり、それが転訛したとも言われてい
ます。
春先にやや黄色を帯びた白い花が、枝の裏にびっしり並んで咲きます。小さな花なんですが、都市ガスに似た強い臭気を放ちます。この臭いをガス漏れと勘違いして通報した人がいるという話もあるくらいです。そのためか、ガス会社では「ガス花」と呼んでいるとか。
実はこの臭いはハエなどの虫を呼びこむためだといいますね。 また、秋になると黒紫色の丸い実をつけ、メジロやツグミなどが好んで食べるそうです。
ひさかきの花の香匂ふ山の径 (清水恵山)
葉隠れにひさかきの真白かな (橋本幹夫)
1.「元気で強い日本の復活を、世界は望んでいる」
ーロバート・D・エルドリッジ(政治学博士)ー
”元気で強い日本”の実現のために様々な政策提言を行っているアメリカ人のロバート・D・エルドリッジという人がいます。「いればいるほど日本が好きになる」という大の親日家であるエルドリッジさんが世界の目から見た日本のすばらしさや可能性を示し、「失われた30年」に対する処方箋を月刊誌の中で語っていました。
日本人はよく「全国一律」という言葉を使いますが、日本ほど地域の多様性がある国はありません。これはおそらく、江戸幕府が幕藩体制をとり、各藩にそれぞれの地域を治めさせていたからでしょう。この地域性が、郷土愛にも繋がっているのだと思います。そのため日本は地域の繋がり、家族の絆がとてもしっかりしています。しかし、この日本の素晴らしいところが、昔と比べ、どんどん失われているように思います。
少子高齢化や教育など、様々な要因がありますが、一番根本にあるのは地方を大事にしない”首都一極集中”だと思います。このまま一極集中が進み、地方が衰退していくと日本が発展してきた強さの源泉にある地域の多様性、地域・家族同士の繋がり、助け合いの関係が薄れ、歴史・伝統・文化・日本人の知恵の継承も難しくなるでしょう。
日本の「三流国化論」に対して、いろんな視点から意見を述べている人がいますが、エルドリッジさんの”首都一極集中による弊害”という論は妙に説得力があるように感じました。
このままでは地方が衰退していき、日本発展の強さの源泉である多様性、歴史、伝統、文化などが失われていく、、と。
とくに多様性について、「日本の素晴らしいところは、意外に思われるかもしれませんが、多様性です」というエルドリッジさんのコメントは、今話題になっている「日本はECI(経済複雑性指標)が過去20年間世界一」というハーバードのリカルト教授の意見とも一致しており、認識を新たにすべきだと思いました。
以上の視点からエルドリッジさんの処方箋は「首都一極集中は”ガン”であり、日本を再び強い元気な国にするには、地方創生、地方分散しかない」というものです。
30年ほど前にもこの地方分散論は出ましたが、中途半端で終わったのが悔やまれますね。
それではまた。