信玄公はどこに・福田寺 | 心のままに

心のままに

ゆっくり、のんびり、思い出づくり

宝雲山・福田寺(ふくでんじ)・・北設楽郡設楽町田口字居立19

 

建長6年(1254)に、建長寺の6世(または4世とも)が現在の東栄町と設楽町の村境である「葭瀬(あしぜ)」に建てた「福田寺」が、その後 神田に移り、田口に再移転した。

別説もあるが、現在地に福田寺が創建されたのは応永9年(1402)となっている。ご本尊は地蔵菩薩。

 

狭い参道があり、石段を上ると山門が見えてきました。

 

 

山門を潜ったところに並ぶ六地蔵菩薩。

 

さらに上にある石段を上がった所にも多くの石仏が並ぶ。

 

 

上から、本堂、庫裡、鐘楼。

 

 

 

境内から小さな橋を渡ると池があり、赤い橋の先には弁天様の祠があります。この池では秋になると、オオカナダモの花が咲くそうです。

 

池の北側の少し高い所には、武田信玄公の墓と馬場美濃守の墓が並んでいます。

※馬場美濃守(馬場信春)・・武田信虎・信玄・勝頼三代に仕えた譜代の重臣で「武田四名臣」の一人。

馬場信春と少し高い所にある武田信玄の墓。

 

信玄逝去の地や墓所がどこにあるかについては、幾つか説がありはっきりしていない。

元亀4年(1573)の野田城攻めの際に体調を崩し、西への侵攻から一転して甲府へ戻る途中、信州の駒場で亡くなったとされる。

 

鉄砲による傷が原因となった「鉛毒」と、結核(腹膜炎とも言われる)が死因といわれ、福田寺においてしばし療養の後死去し、その事を秘して信州まで籠に乗せて運んだという説がある。

 

と言うことで、このお寺にある信玄のお墓は、供養塔である可能性が大きいようです。

 

※現在、武田信玄の墓所があるといわれる所

◎福田寺(愛知県) ◎長岳寺(長野県) ◎恵林寺(山梨県)

◎信玄公御墓所/火葬塚(山梨県) ◎龍雲寺(長野県)

◎高野山(和歌山県) ◎大泉寺(山梨県) ◎妙心寺(京都府)

 

境内にはサツキやユキノシタが咲いていました。

このお寺の境内の中を「東海自然歩道」が通っています。

 

 

 

※先日(6月1~2日)、三河地方へ行ってきました。

家康関連のお寺など何カ所か訪問してきたので、これから写真を整理しゆっくりと記事にしていきます。

 

長文の記事にお付き合い頂き、ありがとうございました。

これからも長文の記事が多くなりそうです。