鹿島の神 | 心のままに

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茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮は皇紀元年(紀元前660年の建造と言われ、東国三社の1つにも数えられている。

ご祭神は香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたといわれる武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀る。

日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社。

 

武の神として古くから皇室や藤原氏から崇められ、さらに鎌倉期以降は武家政権の信仰も得て、社殿、桜門、宝物類の奉納や所領寄進が繰り返されてきた。

 

奥参道・・老大木が並ぶ。

※中央付近に写っているのは私ですが、木の大きさが分かりますか。

 

拝殿・・白木作りの簡素な造り。

※本殿、石の間、拝殿、幣殿この4棟は年元和4年(1618)に徳川秀忠により造営された。

 

奥宮・・慶長10年(1605)徳川家康が奉納した本殿を元和の造営の際に引き遷したもので、重要文化財に指定されている。

 

同じ日に訪れた

偕楽園・好文亭 二階からの眺めと満開の紅梅

 

 

前日に訪れた千葉県鋸南町にある

鋸山・日本寺 高さ31mの大仏と絶景ポイント「地獄のぞき」

 

 

 

霰降り  鹿島の神を  祈りつつ

 

皇御軍士(すめらみくさ)に  我は来にしを

 

        大舎人部千文(万葉集)巻20-4370

 

<意味>
鹿島神宮の神様に祈願して、皇軍兵士として私は来たのだ。

 

常陸の国出身の作者が、防人としてこれから筑紫へ向かい船出する時に詠んだ歌です。(この辺りから筑紫へ行くときは、陸路よりも海路が便利だった)

どうしても逆らうことができない天皇の命令ですから、それならばと覚悟して行こうと、我が身を奮い立たせているようです。

 

同時に詠んだもう一首には、妻への未練が切々と詠われています。

※筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも 愛しけ妹そ 昼も愛しけ

意味・・筑波の山の百合のように、夜も昼もいとおしい妻です。

 

※「鹿島立ち」(防人・武士が旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮に祈願したところから旅行に出発することを「旅立ち」や「門出」と言うことがあるが、この歌が語源と言われている。

 

ここは涙なくしては見られない、昭和の防人たちの心が宿る所。

知覧特攻平和会館(鹿児島)

隊員の像と会館に通じる道(かつての滑走路)