成道山・大樹寺・・岡崎市鴨田町広元5-1
松平家(徳川将軍家の祖)と徳川将軍家の菩提寺。
松平八代の墓、歴代将軍の位牌、家康73歳のときの木像などが祀られている。
家康亡き後も将軍が亡くなると、幕府から大樹寺に位牌が送られました。※15代・慶喜は例外。
昭和30年代に代々将軍の遺体発掘調査が行われた時に判明した事は、その身長が大樹寺の位牌と誤差1㎝くらいだったといわれています。
※家康の位牌は159cm(遺骨で判断された身長は160cm)
一番大きいのは、二代・秀忠の位牌が160cm
※家康の遺言
「遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請せよ」
※久能山東照宮にある家康の墓所・・岡崎の方を向いている。
(2005年訪問)
山門(三門)と鐘楼・・家光が建立。
本堂
安政2年(1855)に焼失したが、2年後に再建された。
(位牌安置所などは撮影禁止)
本堂内部
春日局念持仏
家康と松平家八代の墓所
桶狭間の戦いで信長の軍勢に追われ、命からがら逃げ帰った元康(家康)が、先祖の墓の前で自害しようとした時、大樹寺の登誉(とうよ)上人が、これからの元康の生きるべき道を教え諭した言葉「厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)」はその後の家康の座右の銘となる。
※厭離穢土・欣求浄土・・苦悩の多い穢れたこの世を離れたいと願い、心から平和な浄土を願うこと。
(争いのない平和な世の中をつくろうと思うこと)
三門から総門を通して見ると、その中に岡崎城の天守が見える。
三代将軍家光が大樹寺を大造営する際に、祖父家康が生まれた岡崎城が見えるような伽藍配置とした。
※大樹寺と岡崎城を結ぶ約3㎞の直線を「ビスタライン」という。
(岡崎市HPより)