思い出の名城・城址9 | 心のままに

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名城・城址の9回目

◎長篠城址・愛知県(2016年10月訪問)国指定史跡

永正5年(1508)に奥三河の土豪である菅沼元成が築城。天正3年(1575)の長篠の戦いの際には、武田勝頼と織田信長・徳川家康の連合軍との激しい戦いがあった。

 

本丸跡、壕跡など多くの遺構が残っている。

 

 

隣接する長篠城址史跡保存館・・「長篠・設楽原の戦い」に参戦した武将の子孫からの寄贈品や出土遺物を展示している。

 

再現された馬防柵にも行ってみました。

戦国時代に最強と恐れられていた武田の騎馬軍団に対抗するために、信長が3000挺の鉄砲を用意し、馬防柵で食い止め勝利したと言われている。

※長さ71mで三段の横木と71本の杭が使われている。

戦いのあった当時は2キロメートルの長さの柵があった。

※当時はこの丸太を美濃(岐阜)から、家臣たちが1本ずつ担いでここまで運んだそうです。

 

◎小牧山城・愛知県(2018年6月訪問)

永禄6年(1563)織田信長が、自身で初めて築城し居城とした所。

今までの説では、信長が初めて石垣を造ったのは安土城と言われていたが、近年の発掘調査からこの小牧山が最初だと分かった。

※近江の六角氏が最初だったという説もある。

標高86mの山の上に建つ模擬天守(小牧市歴史館)。

 

小牧山は、信長・秀吉・家康という戦国時代の三英傑が関わる歴史のある山で、昭和2年に国の史跡に指定された。

 

上から

主郭(本丸)跡、大手道、信長や家臣の屋敷があった場所、発掘で出てきた(石垣を支える)裏込石、発掘作業現場。

 

 

 

 

 

◎清洲城・愛知県(2018年8月訪問)

織田信長が天下布武への足がかりとした城で、桶狭間の戦いにはここから出陣している。

(自治体の名称は清須市ですが、お城は清洲城と書く)

 

※本能寺の変で信長亡き後、信長の後継者を決めるために、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、羽柴秀吉らが参加して開かれた会議(清洲会議)の場所としても有名ですね。

平成元年(1989)に再建された4層の模擬天守、天守からの眺め。

 

 

 

五条川に架かる大手橋から見た天守。

 

隣接する「清須古城跡公園」にある若き日の像・・いざ桶狭間へ!

(当時はこの公園の場所に城があった)