爪あと・野島断層(阪神淡路大震災) | 心のままに

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28年前の平成7年1月17日5時46分に大災害が起きました。

 

淡路島の北部を震源とする、あの阪神淡路大震災からもう28年が経ったのですね。

あの頃は夫の転勤により横浜市に住んでいましたが、地震のことはTVニュースで知り、食い入るように画面を見ていました。

被害を受けた人の中には、まだ当時のことを夢に見る人もいるようです。

何年か後で出掛けた所、兵庫県北淡町(淡路島)にある北淡震災記念公園には、あの阪神淡路大地震を起こした活断層の「野島断層保存館」があり、断層による地形の変化をカメラやパネル等で詳しく観察できるようになっています。

 

保存館と慰霊碑

 

 

 

 

 

地震で現れた野島断層

 

当時、宝塚市にあった我が家にも大きな被害をもたらした憎き断層をしっかりと見て来ました。

また、ここは平成10年に国の天然記念物に指定されています。

 

横からみやすい断層面

 

 

当時、大きな被害を受けた街中も復興し、優雅に、豪華に返り咲いた「宝塚大劇場」「花の道」「手塚治虫記念館」・・

 

 

 

 

 

 

 

淡路の  野島の崎の  浜風に
  
妹が結びし  紐吹き返す
             
         柿本人麿 (万葉集)巻3-251

 

<意味>
淡路島の野島の崎の浜で、旅立つ時に妻が結んでくれた紐を、風の吹くままに任せている。

 

当時、筑紫へ下る時には瀬戸内海を船で行く事が多かったので、人麿も同じコースを辿って旅をしたようです。

当時の習慣として、旅に出る時には妻や恋人が自分の魂を男の身体に固着させる為、上着や下着、帯や袖などに紐を結んだのです。これは他の女に心が動かされないようにと願うおまじないの意味もありました。

一方、旅に出る男の方は、家に自分の魂の一部を残して行くのです。

こうしてお互いに相手の事を思い、心配をし、恋しいと思いながら長期間の別れに耐えようとしたのです。

※耐えられなかった人も多かったようです(苦笑)

 

余談ですが・・

地震は地表を動かすだけでなく、人の心も動かすようですね。

10万の兵を連れ、家康を討つ計画をしていた秀吉が、天正地震に遭ったことで戦意消失し、4万の兵の家康は戦いを逃れられた。

豊臣から徳川に人の心が移り始めたきっかけは、伏見城が崩壊した伏見地震。

詳しいことが知りたい方は、磯田道史・著の「天災から日本史を読みなおす」を読んでください。