阿騎野(あきの)・人麻呂の思い | 心のままに

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昨年の秋に訪れた万葉集の聖地です。

「かぎろひの丘 万葉公園」・・奈良県宇陀市大宇陀迫間25

 

 

 

万葉歌碑・・揮毫者は佐佐木信綱。

 

 

当時の狩の様子とかぎろい(案内板より)

※毎年、人麻呂の見た光景を追体験する「かぎろひを観る会」が旧暦の11月17日にこの地で開催されている。

 

 

 

阿騎野・人麻呂公園・・大宇陀拾生76番地の1

 

柿本人麻呂像

※この像(人麻呂)が見ているのは、月ではなくて東に見える「かぎろい」だそうです。

 

 

 

東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて

 

かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ

 

             柿本人麻呂(万葉集)巻1-48

 

<意味>

冬の早朝、東の空に太陽が昇ろうとするその直前、光が差し込もうとしている山際の空の美しさ、振り返って西の空を眺めると月が今まさに沈もうとしている。

 ※この時、人麻呂が見た月はどんな月?(答えは最後に)

 

即位することなく、28歳の若さで亡くなった草壁皇子(くさかべのみこ)のお供をして狩りに来た阿騎野に、今は彼(草壁皇子)の息子である軽皇子(かるのみこ・後の文武天皇)のお供で狩りに来た時に詠んだ歌。

この行事は、かつてを懐かしく思い出すと同時に、軽皇子が皇位を継ぐべく人物であると言う正当性を示すことでもありました。

※皇位を継ぐはずだった息子が早世したため、せめて孫に就かせたいと、息子の政敵を葬ったり、孫が大きくなるまでの中継ぎで皇位を継いだり、奔走した持統天皇の野望が叶いつつある時です。

 

※かぎろひ(かぎろい)・・冬の早朝、陽が上がる少し前に山際が染まっていく自然現象で、徐々に黄、橙、赤と変化していく幻想的な光景。

 

※草壁皇子・・天武天皇と持統天皇の息子。

 

※阿騎野・・大和朝廷の狩り場(薬猟)であった。

 

※橿原国史館にこの歌に基づく壁画を描いた洋画家の中山正実氏はこの歌の研究に没頭し、史実考証や天文学考証、現地踏査などを経て、この歌が詠まれた時を持統6年11月17日の午前5時50分であることを割り出した。

 

 

日没とほぼ同時刻に見える月は満月(その前後の月)ですね。

同じように「菜の花や 月は東に 日は西に」与謝蕪村