出雲へ(6) | 心のままに

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塩見縄手をぐるりと回り、平成27年7月に正式に国宝に指定された松江城へ。

関が原合戦後、堀尾氏、京極氏、松平氏と受け継がれてきた松江城は、明治になってから一般に払い下げられることになり、ほとんどが取り壊されてしまいましたが、出東村の勝部本右衛門、高城権八らが資金を調達し、買い戻され取り壊しは中止、保存されることになりました。

築城にあたって、全体の日数の半分を費やしたといわれる石垣は「野面積み」と「打ち込み接ぎ」

 

 

最近整備された「馬洗い池」

 

二ノ門、一ノ門を過ぎると天守が見えてきました。

 

 

黒が基調で、付櫓があります。

 

どのお城にもある急な階段も、この松江城の階段は軽い桐でできています。

敵が上ってきた時に引き上げたり、防火防腐のためであり、他の城では見られない特殊なものだそうです。

 

石落としは他でもよく見ますね。

 

柱も特殊です。

天守を支える柱には、一面だけ、あるいは二面、三面、四面に板を張って、鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留められているものがあり、これは「包板(つつみいた)」と呼ばれる。

割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためでのもので、天守にある総数308本の柱のうち130本に施してある。

 

最上階にも観光客がいっぱいでした。

 

 

後藤又兵衛の物と伝わる甲冑。

 

大坂の陣で初陣を飾る、14歳の松平直政像。

 

境内には松江神社や護国神社、稲荷神社もありますが、その中の興雲閣をご紹介します。

 

 

松江城内に明治36年に明治天皇行幸時の御宿所として建設された擬洋風建築の迎賓館ですが、日露戦争勃発により明治天皇の行幸は実現できず、明治40年5月に当時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓し、当館を宿泊施設として使用した。