二十歳で終戦を迎えたわたしの母は大正14年生まれ。朝ドラ虎に翼のヒロインより、10個くらい若いことになります。なぜか、娘のわたしは母と似ても似付かぬ性格。その母が、よく

「女学校の時に、友だちから「あなた弁護士なったら良いよ」と、同級生に言われていたと自慢していました。わたしと違って、気が強く、プライドも高かった母。どんなところが弁護士になったら良いと言うことなのか、母が早生してしまい、なぞのままです。

 

日本で、初めて女性が弁護士になったのは、昭和15年。母が15歳の時ですから、高等女学校時代。女学校の生徒たちにとって、🇯🇵初の女性弁護士誕生は、注目せずにはいられなかったことでしょう。ところで、戦前、今の中高一貫に当たる女の子の学校は「高等女学校」と呼ばれていました。小学校(尋常小学校、その後の国民学校)までが義務教育だった時代、女学校に進学することは「高等」な教育を受けることであり、女の子が高等教育を受けるなんて、普通は考えられない時代だったのでしょう。