銭湯好き?嫌い?

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銭湯、いいですよね。お湯がたっぷりあって、温まります。私の家の近くにも、昭和のある時期まで銭湯がありました。その銭湯の周りには、ちいさな商店街もあり、何かの事情があって家のお風呂が使えないときは、銭湯を利用しました。銭湯には、美容院にあるような、大きなヘルメットみたいな、コインドライヤーもあって、髪の毛がすっかり乾くのでうれしかったです。そして、当時は「コーヒー牛乳」と呼ばれたガラス瓶のコーヒー飲料が販売されていました。今ではその銭湯はマンションに、商店街はシャッターのしまったお店が一軒だけ残るばかりになっています。
 
多くの方にびっくりされてしまいますが、私が生まれた昭和30年代、東京23区内にあった私の家には水道がきてなくて、井戸水を飲んでいました。化学が専門だった父が言うには、「カルシウムが多くて美味しい水」でした。でも、カルシウムが多いだけに、アルカリ性で、母の手はすっかり荒れてしまったようです。

井戸水は、夏は冷たく感じて飲むとおいしかったですし、冬は、深いところから汲むため水道水よりお風呂が早く沸いたようです。とは言え、お風呂の水を汲むのは、父には大仕事。サラリーマン生活+お風呂の水汲みで、「水」という題で小説になるほど苦労したと言います。そんなに大変ならいっそ、近所の銭湯に通ったほうがよかったんじゃないって思うくらい。当時、銭湯は町内どこの家庭からも、半径 300メートル以内に一軒づつくらいはあったと思います。お風呂屋さんの煙突は、幼児の目にもよく見えるランドマークでした。

我が家では、1960年代になって水道が来てからも、しばらくの間、井戸と水道を併用して、飲み水には井戸を用いていました。昭和40年、東京オリンピックということで、みすぼらしい木造のあばら屋だった私の実家までも、水洗トイレになりました。下水が整備されたのです。それにもかかわらず、1980年代初頭まで、世田谷区には、下水のない地域が2割もありました。

新潟県で昭和40年ころに、田んぼの中にある集落に引っ越したとき、「こんな市街地を離れたところにも水道が来ている」と父は感激していました。日本では、今は当たり前のように、使いたいとき使いたいだけ水を使うことできますから、突然の災害で断水になると、本当に大変です。この度の、続けざまの台風の襲来。断水の地域が早く復旧することを願います。