目次




  女を求めた男は――女たちを得た 11



 



プラハという島 25



少女であることをしいられた少年――おそるべき天使としての母親――フィアの箴言――最後の邂逅――フィア・リルケの思い出――遠き幼年時代のメタファーとしての人形――女神ヴァリー



 



母親代わりの恋人 48



ひらかれた世界への旅立ち――ルー・アンドレアス・ザロメ――アモルと代理母としての天使――回想:ルーのペテルスブルクでの幼年時代とニーチェのかなわぬ求婚――魅惑と隔たり――田舎でのひと夏 ヴォルフラーツハウゼンでの屈従――ロシアの夢――ロシアの女友達たち:シュマルゲンドルフのソフィア・シルとヴィアレッジオのエレーナ・ヴォロニカ



 



ヴォルプスヴェーデ 69



牧歌への逃避――すべては食卓の上に――すべてはレモンの上に――ルーの「最後の呼びかけ」――もうひとつの孤独の小屋――牧歌のおわり――パウラの裏切り――距離のある結婚生活――北欧の夢:エレン・ケイ



 



パリ 104



物をつうじての不安と詩の分析――「マルテ」の愛――サロン――マチルデ・



フォルメラー――路上の少女マルテ・ヘンネベルク



 



修道女たちのエロス 119



「修道女の嘆き」――愛の理想:マリアンヌ・アルコフォラード――成熟した自我としてのエレオノーラ・ドゥーゼ――「対の詩句」



 



パトロンたちの世界 129



はじめての開拓――もうひとりの代理母:マリー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス――第一次ドゥイノ滞在



 



旅先の女たち 141



ベネツィアのミミ・ロマネリ――魔性の女:ルー・アルベール・ラザール(ルールー、ルル)――マグダ・フォン・ハッティンベルク(ベンヴェヌータ)――シドニー・ナドヘルニー(シディー)――つづく





グンナー・デッカー:『リルケの女たち――および愛の発見』


 


・・・いかに彼は、みずからを救ってくれそうな理想の女性像を
しゃにむに得ようと妄執し、未知のものに対する彼の詩的幻想の全力をつくして無からその像をつくりあげ、現実にみあわぬその妄執をあたふたと生きたか。 ディーター・バッサーマン『もうひとりのリルケ』

 

 


『ゾルゲおばさん』 1.


 ちょうどマイヘーファーのお邸が競売にかけられた日、その家の三男パウルは生まれた。
 
 それはたしかにたいへんなときであった。

 エルスベート夫人は、やつれた顔にかなしい微笑をうかべて、生まれたばかりの赤ん坊のゆりかごのそばで天蓋のついたベットに横たわり、心配そうに視線をあちこちさまよわせては、中庭や居間からわびしい産室へとひびいてくる物音に耳をそばだてていた。――見知らぬ男たちの声がしたり、馬車の車輪がうつろな音をたてて入ってきたり、不審な音を耳にするたび、そのたびごとに、夫人はおびえてベットの柱にすがりつきながら尋ねるのだった。

 「もうそんなにひどいの。そんなにひどいの。」

 だれも答えなかった。医者は夫人をできるだけ刺激しないようきびしく命じていたものの、その善良なる医者には、おそるべき事実であるこの絶えざる心配事に彼女が心底ひどく悩まされているなどということは思いもよらなかった。

 あの日の午前、――パウルが生まれる5日前の――
『ゾルゲおばさん』 

           ズーダーマン


ゾルゲおばさん、灰色のベールの女
いとしき父母かの女をよく知りぬ
まさしく三十年前の今日






『ドゥイノ・エレジー』

第2のエレジー


どんな天使もおそろしい。ああ、かなしい。
それでもぼくは、彼らを知りつつ、死をも覚悟で
あの魂の鳥たちのことを歌う。トビアスの頃はどこへいったのか。
きわめて輝かしい者のひとりが、そまつな旅人のいでたちで
質素な戸口に立ち、もはやおそろしさはなかったあの頃。
(まじまじと見つめる青年のまえに青年として立っていた)
いまあの大天使が、あの危険な者が、星々の背後から一歩でも
おりてくるなら、ぼくらの心などは高鳴りながら打ち破られるだろう。きみたちは何者なのか。

原初から完成した者、きみら贅沢な被造物よ、
つらなる山脈、朝焼けにそまる稜線、
あらゆる創造、――花咲く神性の花粉、
光の節目、通廊、階段、玉座、
本質の空間、至福の盾、嵐のような
恍惚たる感情の混乱、突然あらわれる
ひとつひとつの、自身からあふれでた美を
ふたたび自らの顔へと汲みもどす鏡。

だってぼくらは、感じたとしても、気化してしまう。ああ、ぼくらは
ぼくら自身を息のごとく吐き出してしまうのだ。熾火から熾火へと
燻りを吹き消してゆくように。それでも何者かがぼくらにこう言うだろう。
そうさ、おまえはおれの血のなかを流れてゆく、この部屋も、春も、
おまえでいっぱいなのだ、と・・・それがなんになるのだ、その者はぼくらをとどめておくことができない、
ぼくらはそのなかで弱まり、そのまわりをただよい消えてしまう。そして、あの美しきひとたち、
ああ、誰なら彼らをひきとめておけるのか。彼らの顔には
たえまなく外貌があらわれては消えてゆく。早朝の草の露のように
あたたかい食事からのぼる湯気のように
ぼくらからぼくらのものが立ち消えてゆく。ああ、ほほえみはどこへ。ああ、目配り、
あたたかくあたらしく逃れゆく心の波よ――
ああ、かなしい。ぼくらはやはりそんなものなのだ。ぼくらが溶けている世界空間は
ぼくらの味がするのだろうか。天使たちはほんとうに
ただ自身からあふれでた自分たちのものだけを受け入れるのか。
それともときおり、見まちがいのように
ぼくらの本質をほんの少し混ぜ入れるのだろうか。妊婦の顔にうかぶ
曖昧なもののごとく、ほんの少しだけ
天使たちの表情にもぼくらが混ざるのだろうか。自身へと回帰する旋風にのまれて
天使たちはそんなことには気づかない(気づきようがないのだ)。

もしも恋人たち、彼らが感じ取るなら、夜気のなかで
彼らは気まぐれに語れるかもしれない。万物はぼくらのことを
語らぬようだから。ごらん、木々は存在する。ぼくらの住む家だって
まだ建っている。ただぼくらだけが
入れかわる空気のように万物のそばをかすめ過ぎてゆく。
そして万物は、申し合わせたように、ぼくらについて口をとざす
なかば恥であるかのように、なかば言い得ぬ希望のように。

恋人たち、互いで満ち足りている者らよ
きみたちにぼくらのことを尋ねよう。きみたちは手さぐりし合う。それは互いの証明になるのか。
ほら、ぼくひとりにだって、ぼくの両手が
互いをたしかめたり、その手でぼくの使いふるした顔を
包み込んでみたりすることがあるのだ。そんなことがぼくにわずかながら
感じさせる。けれど、だからといって確かに存在していると言えようか。
しかしきみら、相手の恍惚のうちに
増大してゆく者らよ、互いに圧倒し合い、
もう限界、と哀願し合うほどに。互いの手のなかで
豊年の葡萄のように豊かになってゆく者たち、
ただ互いに飽和しきったときには
ときおり消え失せる者らよ。きみたちに尋ねよう、ぼくらのことを。



すべての峯には
憩いがあり,
すべての梢には
そよとの風も
ほとんど感じない。
小鳥は森で歌をやめる。
待てしばらく,やがて
おまえにも憩いのときが来る

     [赤井]



峯々に
憩いあり
梢に
かよう
風もなく
森に小鳥の声もやみぬ
待てしばし やがて
なれも憩わん

     [手塚]


山やまのそら
しずまり
こずえに
かぜの
そよぎもみえぬ
鳥のこえ森に沈む
ああ やがてもう
おまえもやすらう

     [井上]



山々のいただきに
やすらひのあり。
もろもろの秀枝には,
そよ風の
うごきも見えず。
森かげに,鳥はもだしぬ。
待てしばし,やがて,また,
なれも憩はん。

     [星野]



すべての峯に
いこいあり
すべての梢に
そよかぜも絶えし
しずけさあり
森には鳥のうたもやみぬ
まてよかし やがて
汝も憩わん
  
     [片山]



山々は
静かに暮れて
木梢には
風もそよがず
タ烏の歌
木立に絶えぬ
待て しばし
汝もまた憩わん
  
     [山口]



山々は
はるかに暮れて
こずゑ吹く
ひとすぢの
そよぎも見えず
タ烏のうた木立にきえぬ
あはれ はや
わが身も憩はむ

     [大山]
「さすらい人の夜の歌」               
                                      ゲーテ


どの山の背も

しずけさに包まれ

どの梢も

気がつけば
息をひそめ
森も小鳥のうたが止む
あとは待て もうすぐ
きみもしずまりかえる


「早春」
                          ホーフマンスタール


はだかの並木道を
春風がふいてゆく
そのそよぎには
妙なる様相あり

すすり泣きに
身をふるわせ
みだれた髪に
よりそい

アカシアの花を
ゆりおとし
吐息まじりのほてった肢体を
ふきしずめ

わらった唇に
そっとふれ
やわらかに息づく草原を
さすりぬけ

むせび声をあげて
フルートにすべりこみ
あかく染まった
薄闇をかけすぎ

ささやきの部屋を
だまってふきすぎ
ランプのほの灯りを
かがんでふきけした

はだかの並木道を
春風がふいてゆく。
そのそよぎには
妙なる様相あり。

そよぎは
青白い幻影を そして
昨夜よりふきよせ
かなたから連れきた香気を

おいやってゆく
がらんとした
はだかの並木道を























「偶像」

猫の眠りの神、いや、女神か。
味わう怪神。暗い口のなかで
熟れた眼の果実をおしつぶす。
甘くなった観取のぶどうジュース。
味覚の地下納骨堂のなかの永遠の光。
子守歌ではなく、銅鑼の音、ゴーン!
異教の神々を呼び起こす作法は
この邪知深い神をほうっておく、
内部へと落ちてゆく力のままに。






『オルフォイスへのソネット』

ソネット8

称讃の空間をのみ、嘆きは
歩みゆくのをゆるされる。涙の泉のニンフのように
門と祭壇をささえる岩のほとりで
ぼくらから降るしずくが

透きとおるよう見守りながら。――
ごらん、彼女の静かな肩のあたりの
早咲きの感情を。心情の姉妹のなかで
いちばん幼いかのようだ。

よろこびは知り、あこがれは打ち明ける、――
ただ嘆きだけが、学びつづける。少女の手が
夜ごと古いかなしみを数えるように。

しかし不意に彼女は、おかしな未熟さで、
ぼくらの声の星座を、彼女の吐息にくもらぬ
天へとかかげるのだ。